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徒然なるままに、タロット Short Short5 「テンペランスな戦車」

「牧村くん、僕、今夜、ご飯いらないから、君も好きにしていいよ」
 朝食を食べ終えた僕が言うと、食器を片付けていた牧村がその手を止めずに応じた。
「そうですか。・・・急ですね。デートですか?」
「まさか」
 否定しながら僕がキョロッとあたりに視線をやったのに気づいたらしい牧村が、こちらが訊いてもいないのに教えてくれる。
「織衣さんなら、まだ寝ていますよ。そこに2枚、タロットカードが落ちていたから、多分、明け方までリーディング動画を撮っていたんじゃないですか」
 見れば、サイドボードの上にタロットカードが置いてある。しかも、なぜか十字に重ねられているため、戦車のような乗り物が描かれたカードを、壺を両手に持った女性の描かれたカードが押さえつけているようにも見える。
「・・・へえ。リーディング動画をねえ」
 彼女も頑張っているんだと感心しつつ、僕はほくそ笑む。
「それなら言うけど、今日はリベンジの日なんだよ」
「リベンジ?」
「うん」
 少し勝ち誇った気分になりながら、「僕の」と続ける。
「油したたる中華」
「・・・ああ、なるほど」
 この前、僕が中華料理を食べ損なった経緯を知っている牧村が、口元だけで笑いながら言う。
「だから、リベンジなんですね」
「そう。・・・先月の業績が良かった部署の連中が『行きたい中華料理屋がある』って言うからさ、ちょうどいいと思って。今で言う、マッチングだな。とにかく、今回こそ中華、なにがなんでも中華、僕の油したたる中華をたらふく食ってくるから」
 それは、ある意味、食事に関していつも節制を強いてくる織衣さんへの挑戦でもあった。
 そこで、ふたたびあたりに注意を払った僕は、声を低めて続ける。
「このこと、くれぐれも、織衣さんには言わないように」
「はいはい」
 どうでもよさそうに応じた牧村が、お盆を両手で抱えてダイニングを出ていきながら、「そうか、中華ねえ」というのが聞こえた。
 そして、待ちに待ったその夜。
 社員たちに連れられて店の前にやってきた僕は、そのスッキリとした外観に違和感を覚える。
「・・・ずいぶんあっさりした店構えだね。ここ、本当に中華料理屋なのか?」
 中華街には中華料理屋がずらりと軒を並べるが、どんなに立派な店構えでも、全体的にどこか油臭さがあるものだ。
 なにせ、油あっての中華だから。
 それなのに、目の前の店からは油よりも薬草の香りがしてきそうだ。
 課長職の女性が、「はい、社長」と嬉しいそうに答える。
「最近できたばかりなんですけど、美容系女子の間で人気のお店で、なかなか予約が取れないんですよ」
「美容系女子?」
「あ、男子もですけど。お肌ツルツル男子」
「・・・お肌ツルツル男子」
 嫌な予感がした僕に、課長職の女性が自信満々に主張した。
「このお店、薬膳系の飲茶もさることながら、締めに出てくるコラーゲンたっぷりのお粥が絶品で、社長も明日の朝は、お肌がトゥルントゥルンになっていますから、楽しみにしていてくださいね」
 そこから先の言葉は、空っ風とともに僕の脳裏を虚しく通り過ぎていった。
(僕の油したたる中華が・・・)
 そうして、コラーゲンでトゥルントゥルンになって帰ってきた僕は、玄関扉を開けた瞬間、家の中から漂ってきた匂いに鼻をクンクン鳴らした。
(あれ、この匂いって・・・)
 思いながらダイニングをこっそり覗くと、油でギトギトになった大皿を前に、牧村と織衣さんが楽しそうに喋っていた。
「後片付けが面倒ですが、やっぱり中華料理はいいですね」
「うん。美味しかった。牧村くん、本当に料理が上手だよね。しかも、油ギトギトのあとの杏仁豆腐が最高」
「たしかに。・・・ここの杏仁豆腐、お美味しいですね。さすが、織衣さん」
「そう?」
 言いながら「ふふふ」と嬉しそうに笑った織衣さんが、「今夜は」と続ける。
「中華三昧にしてくれるというから、出かけたついでに買ってきたんだけど、気に入ってもらえて良かった。やっぱり、ギトギトのあとは、さっぱりで中和しないとね。何事も中庸が大事。ーーあ、後片付け、手伝うね」
「ありがとうございます。そしたら、もうちょっと腹ごなししてから」
「うん」
 そこで、僕に気づいたらしい牧村が「あれ」と言って声をかけてくる。
「お帰りでしたか」
 続いて、振り返った織衣さんが言う。
「お帰りなさい、星彦さん。念願の油したたる中華はいかがでした?」
 どうやら、筒抜けらしい。
 ムッとしつつ、僕は正直なことが言えずにボソリと答える。
「美味しかったですよ」
「それは良かったですねえ。ちなみに、星彦さんの分の杏仁豆腐もありますけど、栄養バランスを考えたら、今日はもうやめておいた方がいいでしょうから、よければ明日にでも食べてくださいね」
 言ったあとで小さく笑い、「でも、なんだか」と続けた。
「油でテカテカというよりは、コラーゲンでお肌がトゥルントゥルンってお顔をなさっていますね」
 その確信めいた言い方に対し、僕は疑心暗鬼に陥る。
(いったい、織衣さんは、なにをどこまで把握しているんだ?)
 わからないが、やっぱり未来を読むカードリーダーは侮れない。
 なんだかヤケクソのような気分になってきた僕は、あれこれ正直にぶちまけた。
「ええ、そうですよ。織衣さんの言う通り、油ギトギトではなく、コラーゲンたっぷりの会食でした。おかげで、むしろ油分が体からスッキリさっぱり抜け落ちた気分だし、カロリーも控えめだったから、どうせなら、僕も杏仁豆腐を一緒に食べてもいいですか?」
 すると、ふわりと笑った織衣さんが「もちろんです」と言って、僕のための杏仁豆腐と温かいジャスミンティーを用意してくれた。
 午後八時のティータイム。
 杏仁豆腐は口当たりの良い甘さで、一口食べるごとに、僕の心はトゥルントゥルンになっていった。


 〜Fin〜



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