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絶対的な味方だった。

夫のことである。

昨日、一昨日と、夫と共に過ごした。
そして、たくさんの話をした。

一昨日は、夫の職場の話を聞き、非常に過酷な現状であったこと。
私なら到底やっていけない仕事内容。

業種が同じリハビリなだけに(かつて共に働いていたので尚更)過酷であることが理解でき、なぜ有給を使わないのか常に疑問だったが、立場上無理であることも理解できた。

そのような状況であったにも関わらず、自主的に話をしない夫と、自分でいっぱいいっぱいだった私。今までしっかりと話してこなかった。

思わず、泣いてしまった私。
なぜ、夫の話をきちんと聞こうとしなかったのだろう。。と、大きく反省した。

昨日は、会話の流れで、私の勤め先の現状(休職中なので当時)の話になる。

来月上旬に休職期間が終了する。心の中で「辞めた方がいい」と解ってはいたのだが、どこか引きずっていた私。給料が良かったこと、リハビリ主任以外は皆よい人であったこと。病棟の師長とも仲が良かった。
なので自分を苦しめていた部分を封印し、記憶を抹消し、復職と退職の気持ちが複雑に絡まり葛藤していたのだが。

会話をしていくにつれて、自分がどれだけ苦しめられていたのかが思い出され、抑うつになるまで積み重ねられた原因を思い出せる限り夫に話した。

夫は、全て、肯定してくれた。

「ハルの行動は全て正しい。教科書的に満点だ。ずっと、そのままでいてほしい。腐っているのは、その主任だ。俺なら、そんな職場こっちから辞めてやるよ。」

夫も、職場は違えど主任という立場で仕事をしており、非常に仕事の回し方や部下への対応が上手なので、そんな絶対的な夫に認めてもらったことで承認欲求が満タンに満たされ。


確実に辞めよう、という決心がついた。

いくら、母や弟に「辞めた方がいいよ」と言われても、気持ちがブレていたのだが、欲しかったのは、夫の一言だった。

「俺は、相手に委ねる。」
「それは、信頼してくれているってことだよね」
「当たり前でしょ。だから、俺は何も言わない。ハル次第だ。自由にやれ」

涙が止まらなかった。

いつも、夫が言っていた「自分で勝手にやれ」という言葉の中には信頼が隠れていたんだと理解し、そんな夫を責め続け、寄り添うこともせずにいた自分を不甲斐なく思った。


夫は、絶対的な味方だった。

なので、もう私は病気に依存しません。

不安定になることも、心気妄想や貧困妄想もまだ残っているけれど、それも含めて全て今後へ繋がる道だったんだと、今は思える。

「病気は、神様がくれたギフト。それをどう今後に活かしていくか。」
恩師が言っていた言葉はそういうことだったんだ。

そういえば、病気になってから今に至るまでの運命かというような流れが恐ろしいくらいに理解できる。
休職してからのたった一年だけれど新たな事をたくさん学べている。私が病気なっても大丈夫であるように流れている状況でもある。


考えても身震いするような運の流れに、身を任せていく。
病気と共に、焦らず、ゆっくりと。
夫や母や弟、大切な、絶対的な味方達と共に。



読んでくださった皆様、有難うございます。
涙が止まらない位、書くことは気分を安定させます。
本日のBGMは、安藤裕子。
柔らかい歌声が心をほぐしてくれます。
ぜひ、皆様も。













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