あの2017はまじで激熱だったな。
パソコンの整理をしていたら、みつけた文章が、激熱すぎた。
せっかくなので載せてみた。
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何年かまえから実家の会社の新事業の立ち上げに、緩やかにかかわることになった。今年2月にアプリ会社を辞めることになり、それからは生活が徐々に実家の仕事に染まった。
商品開発には、法規定の理解や、英韓中語の技術資料の読み込み、厚生経産相への書類提出、挙げたらきりがないほどの、未経験の難題の数々に、父も誰も頼りに出来ず、とにかく助けをもとめた。取引先に助けてもらいながら何とか開発にこぎついた。
それが夏の終わり。
さていよいよ販路を整える段階になった。
そしていよいよ現実が、金銭的な数字の桁を以てしてリアルに迫ることを知る。どういう神経で経営しているんだろうと、改めて実家の30年を慮る。外注は期待できず、極力内製、というか、テヂカラで、マジでガチの家内制手工業@2017年版という体だった。
が、これまた助けてくれる地元の方のお力で、資金調達のツテを紹介してもらえた。
事業計画書は2回チャレンジして、3C5FSWOTクロスSWOT、、、頭が火を噴きそうでも、じぶんでやるしかないと淡々とチャレンジ、でもそれも外部に助けれてくれる人が現れて全力で支援してもらった。
資金調達のめどもついた。それが秋から先月の話。
その間、裏切りや旧体制の感覚そして父との摩擦は数知れない。
わたしには母、娘、妻としての側面もあって、子どもや義家族の介護問題も勃発する。小学校のPTA(本部ではないがものすごく出番が多かった)では、日にちを組むのがやっとだった時もある。でも仕事のことは人に話せないことも多く、同じ立場の人とのつながりも特に作らなかった。
いろんなペースに乗りながら、すべてが吸収の場だった。
いま、どうコーポレートサイトを世の中に出すのか考えていて、締切が今週火曜と迫る中、これまた神降臨かというタイミングで、プロのどプロのような方たちと先週出会えた。
連続した蜘蛛の糸渡りに船一縷の望みの、最後のギフトに飛びついた。
今のこの今日のこの時こその内容で、タイムリーすぎて学びは、空気も全部肺まで刺さった。
偶然にも、学生インターンの時にお世話になった企業の元社員さんが講師を務めていた、昔の激アツな日々をまた思い出した。
超胸アツナイトに奮起する。
全部還元をすべく、年内を過ごす。
この数年、話せば尽きない書ききれないほどのことがたくさんあり、どうにも感情が揺れまくった。
たくさんの山があったが乗り越えて来られた。
終わろうとしている今年をふとおもった。
助けてくれるその道のプロが、道しるべみたいに現れて支援してくれて
安心して全力出して、失敗しても受け入れてもらえることを知ったと、おもう、今年。実は数年ずっとぶつかり続けた父とも、そうなのだと朝おもった。
わたしじぶんの名刺とか持たないし
目の前にある必要なことをやるだけで
ぜんぶやったことないことばかりなのに丸投げされて(w)
なのにルールは厳しくて
成果はすぐに還ってこないし
営業トークやいろんなものに振り回されるし
子どもは学校あまり好きじゃないし
母としてできないことだらけだし
人ともよくぶつかって、失敗したし、
苦手なことが凄い苦手なんだともしった。
だから何がすごく好きなのか、なにが嬉しいか体で味わえた。
もう苦手なものは身震いするぐらいにわかりやすい。
とくにこの半年は本気だった。
わたしが何者でなくても
どんなにポンコツとおもっても
受け入れてもらい応援してもらい
助けてもらい教えてもらい
わたしを想ってくれる人がいたことが
とてもうれしかった。
父からも厚く信頼を受け、
最初のころに比べて父も成長したのだ。
来年育児講座を招致する講師には、2年ぶりにお会いする。今年の6月から受けた彼女の講座は、まさに闘魂注入の時間。
本当によくぞこんな不良をありがとうございますと言うほど、忍耐強く、接してもらった。彼女もプロのどプロの人で、こんな風に接する術をわたしも身に着けたいとおもったし、それは来年と言わずこれからの抱負だと思った。
それから哲学カフェにも出会った。
じぶんを表現する、が、わたしにはキーワードだと直感した。
自分で主催した哲学カフェは、ポンコツだけど『表現』そのものを愛するわたしが、じぶんの心の中を表現したチャレンジ。この表現がどう昇華されるか、生きている。たのしみだ。
今年残り2週間、年内の締切があとまだあるので、まだ終わってないんだけど、心境的にはもう今年は満足した。
わたしはじぶんの夫と子どもが全部のみなもとで
2人のフォローと心遣いと愛情で
それだけでこれだけ動けました。
来年はもっと、家族と楽しくしあわせにたくさんたくさん過ごします。
ふつつかなわたくしをお世話いただきありがとうございました。
2017年年末