コトバ
深夜2時、帰宅した夫の脚を揉む。
立ち仕事と、秋の夜風の寒さが沁み
ふくらはぎは パンパンに腫れている。
熱を帯びたふくらはぎの中には
二本の大きな筋が埋もれていて、
その合間で行き場をなくした
血液を川下へ流していく。
すこしずつ液体は、わたしの言うことを聞いて
あるべき流れを取り戻す。
苔むした大きな岩も
小石の積まれた堰も
ゴロゴロと流れていく。
そして大方流し終えたのか
それとも観念したのか
ふと ふくらはぎの腫れが引き
柔らかなほんとうの脚の姿になっていく。
柔らかい、可愛い、素直な脚。
マッサージを誰かにすることが、結構好きだ。
昔は、つよい力がいいと思っていたときもある。
だけど強くおされた血管が痛み
腫れが引かない様子を見て
強引にされても言うことを聴かないという意思を、体から感じるようにおもった。
それから、血管にも言葉があるのだなと思うようになった。
すなお な いいからだ だね
そんな風に脚と話している。
実はベランダのバジルとも話す。
草をもぎって食べてた幼少時も、そうだった。
この葉っぱ、食べていい?
おかしいかもしれないが、会話になる。
返事は柔らかな肌となって返ってきたり
葉が大きく揺らいで喜んでいたり
触ると美味しく感じたりする。
緑や赤に触発されて舌に唾液が溢れる。
脈拍にさえ言葉がある。
茎の中の管にも言葉が溢れている。
わたしにとって 言葉 は
ものすごく広義なのだとおもう。