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心の闇を癒しましょう。なんざ、いとおかしってなもんで。

文章の闇がどうたら
同じものしか出ないたら
ウンタラカンタラ寝言をほざいていたなと
目が覚めた。


このnoteを始めてから
もう100以上書いた気がしていたが、
実際は30いくつだったことに
さきほど驚愕した。

なんてこった。
70近くの記事たちは どこにいってしまったのだ。
というか、なぜ書いたと思い込んだ。


言葉はわたしの生き様から生まれていて、
それらの事実の連なりの中には
どうってことない
どこにでもある
だれかが経験してる
瑣末でもないが、まあまあ有り得る事があった。

それらは グリーフ、サバイバー、発達、
様々なマイノリティとかいう言葉にも
言い換えられる。

自分では何も持ってないつもりだった。
人の中へ奔走し、出会いを繰り返し、出会いに学び
おかげさまで名前とタグを知った。


だけど、そこで出会った 癒さなければならない と
いう言葉だけはどうにも飲み込めなかった。

なぜ無かったことにする必要があるのか。
癒すなんて、傷があるみたいじゃないか。

傷ついて悲しくて
毎日、決死の覚悟で起死回生を誓わなくては
息をすることも出来ないか?

んなことしてないし。


ペロペロペロリンチョってなもんで
息もするし飯も食べるしカラオケだっていくし
本だって読む。爆笑もするし号泣もする。
友達とギャーギャー叫んで興奮したり、
感嘆したりする。

悲しい声でかかってきた電話がネタになるまで
だれかと濃い日々を過ごしたりもする。

もう堪らない言葉を手放して
気持ちよくなって昼寝したりする。


あれ?どこに傷があるっていうんだ。


たしかに、人に分かってもらいたい
分かち合ってくれる人を探して
流離う10代後半から20代前半を過ごした。
酒にも快楽にも溺れたし。
上塗りをしようともした。


24時間明けても暮れても
そのことだけを考え、
さらにはその時間さえも重くなり
じぶん丸ごと闇に葬りたくなるという
二次災害にも被災した。


だけど、もはやこちとら30数年は
ゆうに生きてしまい
正直そんな傷なんたらよりも
もっと凄いものを持ってるって、知ってしまったよ。
すごくヤバくて、もっといいもの。


なんにでも喜べること。
(ちょっとまてなんかそんなアニメあったぞ…)


**朝起きた瞬間から、新しく始められるということ。 **


**からだがこころが感じるということ。 **


欲しいものを取りに行けるということ。
取れるかどうかじゃなく、取ろうとできること。


そんなことできるのに、癒さなきゃならないか?


書いても書いても闇が出るのは
そりゃもう、こよなく闇を愛してるだけのことだ。

いつもとてつもない
驚きとか喜びとか
縁だとか奇跡みたいなものを味わわせてくれた。

にんじんぶら下げられても走れる貧しさゆえに。
その先がティッシュペーパー1枚でも
その価値を知っていたから走った。


走る ことにおける よろこび を
全身全霊で味わうためだけに走っている。


順位がどうたら
走り方がどうたら
にんじんなんかで と恥じるとか
そんなもの関係ない。


いやもう、にんじん取るときは全力で
それこそみっともないと言われようとも
髪振り乱し、なりふり構わず取りに行く。


あの過去たちが沿道でわたしに声援を送る。
その過去の姿をわたしは目に焼き付けて
彼らを愛で、この足をよろこびながらあげる。
それがわたしの前への進み方なだけだ。



たまに、自分のことを話すと
カウンセリングを買って出てくれる勇者がいて
何度かそれに寄りかかってみたけども、
実際は過去を振り返ると称し
過去を自分に染み込ませ
またそこへ戻るように誘導されてる
と感じた。
隣のカウンセリングへ流されそうにもなった。



わたしに事実を話させて、なんの意味がある?
君のデータは潤うのかい?


深掘りは死の淵近くまでしきった。
何度か岩盤の上にいた自覚もあったし
そこから下には命の川しか流れていない。
その川を見てもわたしは狂わない。
なぜか。もう知っているんだよ、ワトソンくん。


闇がどんなに険しく厳しくても
山肌の裂け目から湧く水のように
とくとくと生きる力が湧いたことを。

闇など、単なる度胸試しでしかないことを。



あの淵に立った経験を言葉にすることに
もうそれほど魅力も感じない。
しかし淵に立ったことのある人を
その目を手掛かりに探し出すことには自信がある。
肩を叩くまでもなく
すれ違い様にアイコンタクトを取れれば、十分だ。


歩くだけしか能が無い。
なんと言われようが変わらない。
闇をこよなく愛している。


闇が大きかろうが深かろうが、
その前で足掻き喚き笑い泣き

命を行使した事実を
癒しなどで失ってたまるか
、と

高笑いして蹴散らしてやりたいとさえ、おもう。
本当に救いわれたいのはどっちなんだ。
キレイゴトなんぞ、さっぱりだ。



あの消えた70は
おそらく30いくつの中で生きている。

わたしの70と30は
美しさや癒しや優しさからは、やや遠い。

ただいつまでも力が湧きますようにと
自分に祈り 自分を奉納して歩き愉しもうと
誘っているだけだから。

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