その人
5年くらい前に、その人とは出会った。
当時は 八方ふさがりの 小さな木箱の中にいて
一片を開けてしまったら 屋根も床も崩壊する
時限爆弾をかかえていた。
しかし、刻一刻と木箱は縮み
八つ切りのタイムリミットを知りながら
崩壊にすすむ現実に
手を下すことも叶わないでいた。
どこかで
このまま タイムアウトになる日 が 来ても
いいように 感じていた。
手を下さなければ
わたしはなくなる
その意識は、日常の紙芝居の中の
どこにも描かれていないし
だれにも見いだせなかっただろうし
じぶんが繰り広げているなにかに 無自覚だった。
ただ、ソーダフロートの
氷に纏わりついたしゃりしゃりの氷のように
少しずつ
わたしを侵食した。
現実にはソーダと混ざらないよう
必死でソフトクリームを隔離しながら
そのじつ
やわらかな氷の増殖を
うっとりと 嬉々と ながめ、
鈍くなるからだを かんじていた
氷がはっきりと見えたころには
その人と2人で話すようになっていた。
わたしは 氷なんて
とうの昔からずっと昔から
ずっとずっとちいさな
無力な小さなこどもの時から
いや
こどもになるまえの子だったときから
いつもいっしょにいた友達で
でもさようならをしたと思い込んでいたから
もう氷なんてないと 見ることもないと
おもいこんでいた。
ともだちに抱きしめられていたこともしらず。
その人の言葉は鋭利なナイフだった
近寄りたくもなく反吐がでるような
正論を疎ましく憎らしく感じた。
同時に、これが最後の砦だということも知っていた
その砦を登るのか
それともお堀に埋もれて溺死するのか
選ぶときはきた。
いつもそうなのだ。
こういうとき、わたしは登る。
足も手も手練れのように動き、お堀を出るしかない。
このまま、見えない何かが見えたり、
聞こえない何かが聞こえてしまえばいいのに。
恨めしいとおもいながら
生にしがみつく。
いや、躊躇なく生を選ぶ。
そして選んだ山の頂上が見えたとき
はじめて
この人がいてよかったと、声が漏れる。
また命拾いをした。
何度も諦めそうになるのに
垂れた蜘蛛の糸は執拗に頬を撫でる。
見上げなくていいものを と思うのに
空を見てしまえば もう 心が飛びたってしまう。
山のうえの景色を知らず
小さな世界で
納まろうとするわたしを
いつも だれかが鼓舞し
叱咤し
激励を くべてくれる。
あなたは誰ですか。