マガジンのカバー画像

不自由さの考察(マイノリティタグについて)

12
自身の不自由さについての格納先。ADHD,アスペルガー、ありそう。未診断。18.7.11時点 様々なマイノリティタグが体中に纏わりついて、それがわたしのアウトラインをつくっている…
運営しているクリエイター

記事一覧

ヤカラ先生は怖いんですけど良い人なんです。

わたしは自分の中にヤクザな男を飼いならしている。 あのヤカラ先生について考えてみた。ここは本当に紙一重の世界なので、狂気に巻き込まれてしまいそうでしたら、どうぞここからお戻りください。 まだ間に合います。ここに、わたしの世界への境界線を引いておきます。 ◆◆ あのヤカラ先生とわたしは、同居している。どちらが前に出るのかどこかで境界線を争っているところがあって、わたしはそれを許している。出入り自由の現実への合いカギを共有している。 彼が暴れまわったハチャメチャな後処理に追

うさぎ、森を抜ける。

noteに書き落とした言葉は、人前にいる自分より、よっぽど自分らしいとおもってた。それは今まで誰にも言えないことだったから。 書くまでは辛い。でも一度白日に晒してしまえば、硬く握った手がふっと緩んだ。想いを手放した身軽さは、たまらなかった。書いた文字を何度も読み返せば、そうかそうかとまだ握ってしまう何かをそこに見つけた。そして昔の自分の苦さをこうして懐かしめる今が、嬉しいとおもった。 それを何回か繰り返すと、今度は、書きさえすれば消化する、そんな気になった。 さら

人の目が気になるのは、謙虚とは違う。

「人の目が気になるんです。」 というまとめになった話を、たまたま聞いた。 その人は奇しくも、うちの子どもと同じ幼稚園に通い、同じテストを受けて、同じような結果を貰った。 離婚するほどではないが、子どもの特性に無理解な夫から離れたい、こんなにも1人で抱えていることを、わかってほしいと涙した。もっと言えばご主人は鬱の経験があり、今の彼女は鬱状態に近いと判断した。そんな状態の話を聞いて、全てを判断できないと、話し合いを拒否されるのだそうだ。 その涙をわたしは貰った。これは泣か

恋と積み木。2

1/3のつづき 彼女とは毎日ハグし合い たまに一緒のベッドに潜るようになった。 2人は目を閉じ 寝ずに一緒に過ごした。 友達なら、するんだろう することだから、とおもいながらも 背後から彼女を抱くわたしの手が 15センチ上にズレるだけで この関係は 終わるのだ。 柔らかくて温かいものを大切に抱きながら 鼻に当たるシャンプーの香りに 振り向かせたい狂おしさに 悶えた。 初めての性は 恐怖と混乱で幕を開けた。 なのに布団に潜ろうと誘うことを やめられるわけがない。

マイノリティが怖い人

ここ数ヶ月のマイブームの始まりを羅列してみた。 8月  古典、地理、郷土史 6-7月 発達障害 3-5月 セクシャルマイノリティ 4月  グリーフケア -3月 哲学カフェ 1度関わったテーマは それ以降パッタリと途切れるわけではなく、 そこで出来た友人とは薄く広く繋がったりして 世界を広げ続けていく。 わたしの中はいつも何線か並走稼働している。 結果、深くて多様なテーマが並んでしまったが 駅から駅へと同じ線路の上にあるから辿りついた。 どれもこれも自分の線路の

心の闇を癒しましょう。なんざ、いとおかしってなもんで。

文章の闇がどうたら 同じものしか出ないたら ウンタラカンタラ寝言をほざいていたなと 目が覚めた。 このnoteを始めてから もう100以上書いた気がしていたが、 実際は30いくつだったことに さきほど驚愕した。 なんてこった。 70近くの記事たちは どこにいってしまったのだ。 というか、なぜ書いたと思い込んだ。 言葉はわたしの生き様から生まれていて、 それらの事実の連なりの中には どうってことない どこにでもある だれかが経験してる 瑣末でもないが、まあまあ

あそびをせんとや、うまれけん。

どんな風に希望を見いだしていたんだっけ。 子どもの時から、その希望で 恐らく生き凌いだはずだ。 登校中、集団登校で6年生から入学したてのわたしまで、総勢10名ほどで通っていた朝。 排水溝の溝を歩くマイルールに従い、いつも下を向いて遊んでいた。 その黒は、この線は、踏んではいけない。 そう、歩いてもいい範囲を決めて、その中にだけ足が着くように歩いていたので、毎朝電柱にぶつかっていた。 頭を突然引っ叩かられるような衝撃に、顔を上げると、また、、、という顔がこちらを見ていた。

24h

「パンセクシャルで見た目は女ですが」 と話し始めた途端、 「大丈夫です。ちゃんと女の人に見えますから」 との言葉を貰ってからというもの、 こびりついた違和感は カサブタになった。 その違和感は、その時言語化できなかったが、 今はわかる。 見たものを そのままほんとう だ なんて思っていないし わたしはいつも好きな物を身につけている。 筋斗雲にのって空を旅している間に もうそれがいいって決めたのだ。 それは女的と言われる内容かもしれないが、 この肉を纏うじぶんが一番

双子の花

人から物を貰うのが苦手だ。 ほとんどの場合、途方に暮れてしまうからだ。 およそ2年ぶりに唯一の幼馴染と話した朝。 その連絡を取った衝動の1番は謝りたいというものだった。 6歳から18歳まで同じ学校だった。1年置いて、2年また同じ土地で過ごした。 佳作の佳が名前についてる、なんて言う彼女は、誰にでも好まれる唯一無二の美しいものを作れる佳人だった。 彼女が纏うものは全てが完璧で、 幼いわたしはよく真似ては、鏡の前で首を傾げた。 何かが違う。 その理由は今になってわか

境界線を探す旅人だったころ

境界線が薄い、という自覚は、ようやくここ2週間でついてきた。 今、この見たことのない、境界線、というラインを見ようと、またも人の中に繰り出す日々を送っている。 さて、そもそもその線の名前を知らずに生きていた頃のこと。 なぜか怒られる なぜか嫌われる なぜか避けられる なぜ変な人に見られるのか 全く感知できないでいた。 手術で髪が短くなり、ウィッグをつけざるを得なくなった友人に、 髪が長かった時の方がいいかも、と素直に言い、 そんなこと言われたくなかったと落ち