境界線を探す旅人だったころ
境界線が薄い、という自覚は、ようやくここ2週間でついてきた。
今、この見たことのない、境界線、というラインを見ようと、またも人の中に繰り出す日々を送っている。
さて、そもそもその線の名前を知らずに生きていた頃のこと。
なぜか怒られる
なぜか嫌われる
なぜか避けられる
なぜ変な人に見られるのか
全く感知できないでいた。
手術で髪が短くなり、ウィッグをつけざるを得なくなった友人に、
髪が長かった時の方がいいかも、と素直に言い、
そんなこと言われたくなかったと落ち込ませてしまった。
非難轟々の嵐に、そうかこういう時はそう言うのか、、、とひっそり落ち込んだ。
だけど貴女の長い髪が好きだ。
あなたはロングが似合っていた。
ねえまた伸ばしてほしい、の言葉を飲み込み
ゴメンネ、、と
苦々しく笑って見送ることしかできなかった。
またやってしまうのでは。といつも思っていた。
どこにいても、喧嘩爆弾を落とし、
人間nuclearweaponと評されもした。
どうやらわたしはオブラードを持って生まれなかったらしい。
いや育つべきものが、マズローや心理学の段階のどこかで止まっているらしい。
いまどこにいるのわたし。
人の反応を見ながら、見えないラインを手探りで匂いと肌触りだけを頼りに探すようなことを、していた。
そして徐々に、どうやら人は、その人のフィルターを通した言葉を発するということを発見した。
同じ単語で意味が違う。
言語外に含まれるものを、文脈で理解してやり取りをするのだと。
言葉に敏感になることで、きっと見極められると信じた。
疲労の代わりに誤魔化しのテクがみるみる向上し、
道化道化道化と頭の中に響く言葉を
張り付いた笑顔で地に埋める。
なんでわたし見えないのかな。
みんな何が見えてるんだろう。
わたしは人が目で見る時に耳を使い、肌で感じる時に鼻を使い、涙の代わりに言葉を使った。
あぁ、これじゃ、犬だ。
野生の勘だけで嗅ぎ分けて、居心地の良いところにおさまって、収まりきれなくなればまた探しに出かけ、放浪の旅を続けないと生きていけない。
もうこの旅にゴールなんてない。
そんな絶望を抱くのに、だけど温かさを知った貪欲な体は、また探しにでる。
境界線の言葉を知るまでそれは続いた。