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『運び屋』の感想

(以下はInstagramに投稿した感想に加筆修正を加えたものです)

クリント・イーストウッドの最新作『運び屋』を観てきた。ここ10年ぐらいイーストウッド作品はほぼ劇場で観てきたが(前作は仕事で都合がまったくつかず、未だに観れてない)、ひさびさにほんわかしたイーストウッド映画を観たな……というのがまずやってきた印象。設定やストーリーはほとんど『グラン・トリノ』みたいなのだが(主人公は朝鮮戦争に従軍経験があり、人種を超えた交流が描かれる。また車も重要アイテムだ)、ノリは『センチメンタル・アドベンチャー』に近いかも。

登場する車たち

前述の通り、車が重要アイテムな映画であり、記憶の限り、キャラクターが運転する車は米国車と日本車に限られる。麻薬組織のボス役ででてくるアンディ・ガルシア(タランティーノ映画ばりのベタなボス感)の館には置物のように置かれているクラシック・カー、スポーツ・カーを除いては。冒頭、イーストウッドがオンボロのフォードを運転して花の品評会場に到着する際、車止めのところにレクサスが停まっているところから日本車アピールがはじまり、イーストウッドの見張り役が乗ってるのがトヨタのオーリス(かな?)、砂漠で立ち往生してるのがプリウス(今風の黒人家族が乗ってる)、途中で職質受けるのもトヨタの四駆車。配車にも意味合いがありそうな気がするのだが、あいにくよくわからない。

イーストウッドが乗るのは一貫してフォードであり、冒頭のクソオンボロのトラック(嘘でしょ、というぐらいに汚い)での一仕事を終えて乗り換えるのが「リンカーン・マークLT」という高級ピックアップトラックである。このわかりやすい成金ぶりがイーストウッドっぽいギャグだな、と思った。

え! と思ったのが、途中で出てくる麻薬組織のハードに悪いヤツ。これが乗っていたのが日産のフーガで。「そういう立ち位置なの? フーガって?!」と困惑した。わたしが住んでいる団地の修繕工事車両のなかにハイエースなどに混じってフーガが停まっているという状況を思い起こさせもし「ガテン系に人気あるのか!?」とよくわからない気持ちになった(なお、上記の車種名に間違いがあったらご勘弁ください)。

勝ち逃げする老人の映画

で、イーストウッドの主演ぶり。とにかく衣装の「ザ・おじいちゃん」具合が素晴らしかった。死んだ自分のじいちゃんみたいで。日本にもアメリカにも「おじいちゃんの服専門店」みたいなのがあるんじゃないか、ってぐらい素晴らしいサイズ感、柄、色合い……。言うなれば、整形外科の待合室でよく見る老人のファッション。ああいう服装って特定の年代に限られるように思われ、ひょっとするとそのうち絶滅してしまうスタイルなのでは、とも思う。自分の親世代(60代前半)が将来的にああいう格好をするのも想像つかないし。

良い映画、好きな映画ではあるのだが、あえて批判的になるのであれば、「「ジジイだから仕方ない」で済ませるしかない」性が満載であり、これは、今の世の中で勝ち逃げする老人そのものだよな、とも思う。象徴的なのは、黒人を目の前にして「ニグロ」と言ってしまうシーン。そう言われた黒人から「今はそういう言い方はしない」とイーストウッドがたしなめらるのだけれども、その「ジジイなんでPCとか関係ないです」という思い切り。あれをもっと偽悪的に、不愉快な方向にいかせると、梅沢富美男みたいになるんじゃないのか、と思ってしまう。今こういうジジイの開き直りが許されるのは、イーストウッドと山田洋次ぐらいなんじゃないのか。

そう考えると実に身勝手な男の話を「美談」っぽくしているよなぁ……と呆れてしまうほどでもある。いきなり説教をはじめたり、最後のシーンなんか老人性の癇癪そのものだ。『グラン・トリノ』でいろいろ背負って殉職した主人公が、死後復活してとことん好き勝手に生きなおしてみました、という映画だったのかもしれない。「あとは知らん、俺は好き勝手やってきたし、最後まで好き勝手やってやる」という思い切りは、それが許されそうにない世代からするととてもうらやましい。

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