[理系による「アート」解説] "野生爆弾くっきー"の作品から考えるアート界 ➡よく分からなくなったら原始に戻ろう
原宿を歩いていた時にたまたまやっていたので見てきました。
野生爆弾くっきーの作品そのものは、お笑いコントの小道具から来ており、根本は言語化できない・トークにできないお笑いの何かを、作品としてアウトプットしたものの認識です。
で、なぜくっきーの作品が今注目されているか?、に関して考察します。
理由は簡単で、もはや複雑すぎて一般人がついていけなくなったアート界において本能的に分かりやすいから、です。(インスタ映えも本質的には、本能的に分かりやすい、の要素です)
最近のアート界は、バンクシーのメッセージ性の強い表現・パフォーマンスから、AI、NFT等と、もはや何が何だかよくわからない混沌のど真ん中です。そういう時は原始(本能)に戻る人が受ける現象が起きます。
例えば、音楽界だと、プログレ隆盛で音楽なんだかアートなんだかよく分からなくなってるときに、ラモーンズやセックスピストルズのような、あまり複雑でなく分かりやすい音楽がカウンターとして来ました。(一方、プログレの超絶技巧をメタルとして受け継ぐ一派も出てきます。)
ゲーム界だと、モンスターハンターやファイナルファンタジーでCGに凝りまくる全盛期に、マインクラフトのようなプリミティブなゲームがカウンターとして出現しました。(一方、3Dに傾倒するフォートナイト派もおります。)
アート界も、分かりやすかった印象派からセザンヌでなんだか小難しくなり、ムンクやゴッホからの象徴主義がそれに拍車をかけているときに、ピカソやモディリアーニが原始アートに戻ったり、マティスが構成をとても単純にしたり、なことが起きています。(一方、抽象絵画でますます難しい方向に走る一派も出てきます。)
くっきーも、無意識によく分からないときは原始に戻ろう派、に属しており、の作品を理解する参考として岡本太郎がよいと思われ、例えば、縄文土器にプリミティブアート性を発見し、どでかい土偶である"太陽の塔"を作ったことを想像してもらえると良いかなと思います。
で、下の作品です。
これって、下のプリミティブな彫刻と似てませんか?(阿修羅の奇天烈なところや、なぜか顔そのものも…)
ただ、プリミティブ派はキャッチーで短期的にはバズるのですが、そこから何か進化がないと歴史的にあまり長続きしないので、今後、くっきー!がどのように展開・進化していくかに注目しています。