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はじめての沖縄~辺野古②

ちゅらそばさんを後に、辺野古旧市街を抜けていく。
沖縄とアメリカが混ざったようなアンバランスさ、白っぽく朽ちていくような坂の多い街の中を、かっての社交街の雰囲気を探しながら、海に向かって彷徨った。

すると目の前に・・・は?え?なに??

おいおい・・・まじかよ こんなの今あるの?
ちょっとまって〜^^; Aサインって・・・
これはいくらなんでもオカシイ、テーマパーク?映画のセット??

で、覗き込んでみたら

映画のセットでありましたーヽ(`▽´)/

このときは知らなかったんですが、後から調べたらこの映画でした。なんと、今年日本映画最大級の話題作だったんですよ奥さん! 
広瀬すずさん、居たら最高でしたねー 笑

思わぬウエストワールド?の出現に、少しちむどんどんしながら歩くと、やがて眼前に現れた辺野古の海です。

旧市街は高台にあるのです。
一気に下って漁港から海岸まで歩きます
場違いと言うと失礼ですが、めっちゃきれいで真新しい運動施設
国から負担を引き受けた地方の町で必ず出会う光景でもある。
写真の右、茂みのところには反対派の基地が。皮肉なコントラスト。

漁港を右に見て進むと、浜へ出る。時は引き潮、海は遠かった。
人影は皆無。いや基地との境の堤防に警備の人が一人。
離れていたが、マンマークされてるようでこっちの動きに合わせて一緒に動くのが面白い。

以前はたくさんメッセージの書かれた旗などが掲げられていたが今はない。

さて、この旅で唯一のビーチでの時間をゆっくり過ごすことに。岩にへばり付いた小さな巻き貝を潰さないように気をつけながら、手頃な岩に腰をおろす。

キャンプシュワブから辺野古埋立地の護岸
ずっと目の前でいてくれた水鳥

辺野古の航空写真(by GoogleMap)

地図の真ん中左寄り、堤防に続く斜めラインが海兵隊基地と辺野古地区を別つ“国境”である。米海兵隊キャンプシュワブはかって「大浦崎収容所」と呼ばれ、沖縄戦で戦災にあった住民の人たちを収容する場所だった。その劣悪な環境の中で、住民の命を助けたのが、海の命豊かなこの辺野古の浜である。

引き潮で露出した岩に張り付く小さな巻き貝
こんな小さな貝も、当時の人々の命を救ったんだろうなと思う

1人の日本人として。この巨大公共事業の現場を眺めていた。
空は少しずつ雲が増えていき、風も出てきた。遠浅の海は穏やかだが引いた潮は少し濁っている。人影は堤防からこちらを見る警備員だけ。時折遠い空をヘリが飛ぶ以外、静かだった。

「移設を前提に、5年以内に普天間基地の機能を停止する」確かに聞いた記憶があるが、宣言した首相はもうこの世にはいない。普天間基地は今も健在のまま。移設先となったこの場所は、今もただ、だらだらと工事が続く。
国は沖縄県の声を退け、耳を貸さない。地元の人たちの心を弄ぶように。

日米安保、地位協定。アメリカの本音、日本政府の目論見。辺野古新基地の必要性はここでは語らないが、この景色を観ながら、たとえここに新基地が完成したとしても、それを私が見ることはないだろうなという、なぜか確信めいた気持ちになった。

きっと必要なんだと思う。新しい基地でなどでなくこの大きな「クサビ」が。

沖縄の人たち同士で争わせ、本土と沖縄を切り離し、巨大な利権を産み続ける。いつまでも「クサビ」のままであるほうが都合が良い。それがこの国の本音なのじゃないかなと。

辺野古川河口
遊歩道や公園がきれいに整備されていた

辺野古川の川辺を歩いての帰り道、河口で地元の人であろうおじさんがゴルフをしていた。遠浅の砂州でひとり優雅なゴルフタイム。この辺りはキレイな住宅が多くて、旧社交街とはかなり雰囲気が違う。井戸は神聖な場所とされ集落のあちこちにあった。「辺野古 子のお神」という社に今日のお礼を伝えて手を合わす、立派な公民館の脇からバスに乗り辺野古を後にした。

金武町で路線バスから高速バスに乗り換えた
バス停移動の道端には自生のパイナップルが!!

なんだか、とても疲れていたが。
乗り換えた高速バスは快適で、寝落ちしたまま気づけば那覇のバスターミナルに到着していた。

つづく



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