海蔵亮太さんの『晩夏光』を深掘りしてみた
日本一情景が浮かぶ歌手
と題して、海蔵亮太さんについて少し書いたことがあります。
その海蔵亮太さんが『晩夏光』という曲をリリースしました。
本当にこの方は歌詞を大事に歌うので、この曲でもそれを感じられます。
ということで勝手な解釈で『晩夏光』を深掘りしたいと思います。
歌詞と海蔵亮太さんの歌い方、表現力に目を付けて。
歌詞をそのまま写すと、誰かに怒られると聞いたことがあるので、所々摘まんでみます。
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『風の谷間に手を差しのべて~』
花火を見ている様子だと思われますが、この後見上げると言ってる所から、子供、とまではいかなくても幼さ、思春期などを感じます。大人になって花火を見上げるって表現は合わない気もしますから。
『二度と交わらない~』
いきなり悲しい表現をされています。
失恋なのかと思うのですが、告白して振られたという感じでもなさそうです。
控えめな歌い方から、想いをどこか隠してる、密かにとか、誰にも言ってない、という感じを受けます。
その後の『ふぅ~う~・・・』の部分は、ただの間奏ではなく、しっかり泣いていることを表現していると思います。
『暮れ行く夏あなたを~』
二人の思い出をという歌い方が、とても悲しく、孤独を感じます。この思い出は、自分だけの思い出であり、相手は覚えてすらいないのではと思います。
見失っていくとは、思い出を、思い出として残しておくことが間違っていたのではという迷いを感じます。
『待ち合わせたあの~』
一見、相手が待ち合わせに来なかったというエピソードに見えますが、この辺りから海蔵亮太さんの表現力。
待ち合わせ、泣きながら、の時は若干力強いので、希望がある気がします。
なので、待ち合わせで会うことは出来て、一緒に楽しんでるのではないかと思います。
が、果たす術がないことに気付いてしまい、それでも、と続いて、この間ずっと力強いです。
海蔵亮太さんも拳握ってます。
『出会ったときに~』
この曲を初めて聞いた時、一番の違和感を感じた部分です。
であった
この、『あ』に注目。
こんな、悲しい曲なのに、この『あ』だけ明るく感じます。
悲しい、力強い、でもなく明るい。
明るい、楽しい、嬉しい、こんな『あ』の歌い方、使い方は聞いたことがありません。
でひゃった、と聞こえるくらい、そこだけ可愛らしさや、ハッピーな感じを受けます。
この『あ』一つで、出会った時の思い出は楽しい記憶であることを表現し、そこに戻って抱きしめてと言ってるので、何とも切ないです。
『夢の水面に~』
夢と現実の境界線を水面と表現しており、身を潜めてとあるので、夢の方に潜ってるんだと思われます。若干悔しそうというか、満足してない歌い方をされてます。
『翳りだした季節戻らず~』
戻らずということは夏から秋へと進むという意味で、活発な夏の日射しが弱まることであり、一旦『晩夏光』そのままの表現になります。
この後、願いを乗せた小舟が流れるということですが、自分は夢、水面下から眺めている訳で、夏の力、勢いがないとその舟には乗れないな~という感じ。
『揺れる影が淡く重なり~』
夏が終わったのに、ひょんなことから思い出してしまいます。
『二人で見たあの~』
二人で見てるはずの花火なんですが、彷徨い、果てるはずもない、欠片、な~んかラブラブではありません。
思い出す風景は全て片想いのようです。ほんと悲しそうに歌われます。
『約束の日に~』
約束をした日があるようです。これが花火の約束だとしたら、遠くに連れてってということなので、この祭り、この花火ではない所が良かったのかもしれません。
つまり、この祭りで片想いに気付いてしまった、決定的な何かが起きた可能性があります。
『朧気な輝きは~』
ここでまた『晩夏光』について。朧気、ぼんやり、寂しげ、と夏の日射しが弱まっていくのと同時に、想いも弱まり消えそうになります。
ここで花火が打ち上がる音とシンクロしますが、ここで消えそうな記憶、想い出をもう一度甦らせます。
『何度目かのあの~』
何度目?今回だけじゃなかったみたいです。
実は何度も花火に行ってる仲。同級生や幼なじみかもしれません。
ずっと想いを馳せ、思い返せば何度もチャンスはあった。
そして、毎年その人は輝いていた。
前半と同じく力強く歌われます。
毎回、夏祭り、花火の力を借りようしたが、毎回上手くいかず、秋になるとその熱も弱まっていく。
『出会ったときに~』
前の『あ』よりもっと優しく可愛らしく感じます。
この『あ』が指す時、楽しかった時代は子供の頃のような気がするので、やはり幼なじみかもしれません。
幼なじみと毎年花火を見に行き、楽しかった想い出。
そして、今ではもう叶わなくなってしまった悲しさを感じます。
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少々オーバーですが、いかがでしたでしょうか。
本当に個人的すぎる勝手な解釈なので、いろんな解釈があると思いますが、そこはエンタメということで。