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ダッコちゃんを知っている人の話

こんにちは、アラカンのおかんです^^ コロナで経営していたゲストハウスのお客様がほぼゼロに😵日々悪戦苦闘しながらもほっこりしたものを書いていきたいと思っています😄

今日は小さかった頃の写真が出てきたので、当時の話をしていきたいと思います。

ダッコちゃんて誰ですか?

ダッコちゃんはおかんにとっては、とっても懐かしい存在です。ダッコちゃんは幼稚園の頃におかんの家にやってきました。ダッコちゃんはその名の通り、腕にぶら下げることができるビニール製の空気で膨らませる人形です。輪っかのような耳、ウィンクにもできる大きな目、驚いたように縦に口を広げています。腰みのを付けたこの真っ黒い人形はタカラから1960年に売り出され、一大ブームとなりました。このダッコちゃんはその当時、兄と取り合いになり、最終的には腰みのが取れてしまうことになったのでした。下の写真がダッコちゃんです。

ダッコちゃん2

シャッターの先

昭和のその頃、写真は白黒で、今では当たり前のカラー写真はおかんが小学校3年の頃より、徐々にメジャーになっていきました。幼稚園の時に一緒に通っていた男の子がいて、おかんは坂の上、その男の子は坂の下の一軒家に住んでいて病弱でした。時々幼稚園を病気で休んで、出てきてもおかあさんは心配してか、幼稚園での様子を見に来ていたのを覚えています。その男の子と一緒に玄関の前で撮った1枚の写真。二人とも笑っています。色白の男の子とおかん。おかんは白黒写真でもというか、白黒写真だからというか、色が黒いのです。小さいときはあまりそんなことは気に留めないものですが、改めて見ると確かにおかんは色黒だったのです。

小麦色の肌

小学生の夏休み。おかんは最大のイベントである「おばあちゃんの家に遊びに行く」を毎年楽しみにしていました。田舎にあるおばあちゃんの家で、一か月近くお世話になっていました。ある時、おばあちゃんの家にお客さんが来て、おかんもそばにいました。何かの会話で、そのお客さんは「小麦色の肌だからいいのよね」と、おかんに慰めるように言いました。この頃より、おかんは自分の肌の色が人より黒いんだなと自覚し始めたのでした。

おかんは3人兄弟の真ん中で兄と弟に挟まれて育ちました。庭で撮ったその3人の写真も出てきました。小学生の兄とおかん、弟はまだ3歳くらいです。この白黒写真の中でも、兄と弟は色白で、おかんはやっぱり色黒でした。「どうして私だけが色が黒いんだろう」とその頃はずっと思っていたのです。

コンプレックス

女の子で色が黒いことがコンプレックスだったおかん。目が大きくて色黒でダッコちゃんと似ていても、ちっとも嬉しくなかったのです。当時は色白の女の人が美しいとされていた時代でした。しかし時は変わり、学生の頃には小麦色の肌がもてはやされるようになり、日焼けサロンまで出来ました。ガングロで肌を黒くするスタイルもありましたね。そしていつの間にか、おかんの肌は人並みになっていきました。渦中にあるとつらいものですが、時とともに、その思いも薄まってきます。今のおかんの年になると、病気で体が不自由になる人もいるし亡くなる人もいます。そう思うと、色黒なんて大したことではなかったなと実感します。「元気で健康でいることが一番大事」って思う世界に突入です😊

さいごまでお読みいただきありがとうございました。スキやフォローもしていただけると励みになります。それではまたね。ばいばーい😃





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