誰かが素直になった時

 美しさとは何ですか?それは人によって内面をあらわすものだったり。はたまたSNS社会をストレートに表現して外面を選択してみたり。それは誰にも知られない些細な逡巡だったりするかもしれません。

 全く興味なかったのだけれど、昨日AIグラビアという存在を知ってしまい、「すげえ~」って独り言いいながら、それらの画像をスクロールして見ていました。

 Kカップに石原さとみを融合したようなパーフェクトボディレディーが次々と登場。いわゆる男の理想像の究極がインフレしていくようなイメージ。

 でも、そんな人は、現実世界で居ません。笑 今後、それを本質的に理解する人としない人に別れるのだろうと思います。

 理解しているつもりでも、テクノロジーは現実と虚像の境界線を破壊して、世界の人口は次々"そちら"へシフトしていく。それらが今話題のメタバース中心の世界線へのパイプになると思っている。(今の所、全然まだまだだけどね。笑)

 少子高齢化が絶望な先進国は、貨幣の価値をもうひとつ想像し、想像世界をポートフォリオして、そこに人々を避難させ、常識からのパラダイムをはかる。

 そしてまた、淡い期待を言えば。刺激が強すぎる想像世界、仮想現実に辟易し、またこの現実世界の価値が再認識、再定義される世界線が同時進行すること。それは"かえって"少子高齢化への斬新なアプローチになるかもしれない。笑

 センシティブな話題を掘り起こすと、一部の男性側の認知の歪みというのは、男性である私も感じる。女性の性的価値への幻想は100年前と比べてやはり上昇していると思われる。(それは、女性の女性自身に対する物差しも一緒。)インスタグラムを初めとする行きすぎた加工や整形なども同様。

 これ、言っていいのかな。周りの男性の乳輪に対する価値観と私の見てきた現実、全く合わないんです。 乳輪大きいの嫌だ、とか言ってる人結構いますよね。 私が直に見てきた巨乳や爆乳の元カノで乳輪が小さい人は0です。ゼ・ロ!そして私にとってはそれが自然であり、最も違和感を感じず、好ましい状態である。(不愉快になったらマジで謝罪。でも真剣です。)

 そして下着の支えがなければ、垂れますよ。Iカップの重量を考えてください。それが地球儀のようなまん丸だと思ってるなら、アニメの見すぎですよ。科学じゃないですよ。

 そしてどんな美女であれ、自分のどこか、それは肉体か、些細な造形か、"その深度は置いといて"、何かしらコンプレックスを抱えているもので、それが努力への原動力になったりするかもしれない。だって人間だから。

 そして実は欠点というのは、他の欠点をカバーしている。整形して、あれ、物足りないな。と思う現象は、目立たなかった他の欠点が目立つようになってしまうのが原因かもしれません。そしてその現実こそが、人間の美しさの根元であると思っている。刹那であり、多大な努力をしないと維持できない、儚く寿命の中にあるもの。不完全さからあらわされるリアル。

 だから、私にとって、欠点(だと思うもの)を大した苦労もなしに修正し、現実不可能な体型に変化させ、量産されていくAIグラビアは、違和感のカタマリであり、現実から逸脱したものである。が、しかし。

 それは私自身の経験や常識による審美眼。というところが面白いところ。AIに自然を感じた心の持ち主は、その世界線に移行し、次世代へのヒントを作る。もうそれは、規制ではどうにもならない領域に来てると思うんです。

 テクノロジーの力を借りて加工で盛る。最初は適度に自然な形を成していた被写体も、デジタル特有な不自然な美しさに侵食され、人間の美意識は冷静な価値観から脱却する。(おそらくこの時点で既に次世代への王手。)いずれ"そうやって利用していたもの"は、"独立した力を手にし"、人間を遥かに越える脅威のマシンとなる。

 これは、まだ社会全体がAIを共存させ、利用し、「今の人間の仕事の価値は維持されるだろう」なんて考えているご都合主義である虚像の価値観への釘打ちだと思っている。

 もちろん、AIグラビアは今の所、実在もせず、アイドルのように実際に出会えるわけではありませんし、心があるわけではありません。だけれど、心がないからこそ、例えばストーカーをしてもキモがられることもなく、いずれは人工知能と融合して、ARやVR(いずれは立体ビジョン)を繋いで、対話が可能になり、さらに性格すら数値で調整し、トラブルの少ない本当のパートナーのような関係になる。さらに低コストで量産できるので、お金もかからず不自然なロマンスを楽しむことができる。そしてその不自然さも、慣れていけば自然に変わる。違和感もなしに仮想に移行される。みたいな筋書きだと思います。

 いずれは女性用もできて、推しや出来すぎたイケメンかつ中身も最高!みたいな無神経さとは無縁な理想のパートナーと添い遂げる。みたいな前例がメタバースの輪郭を帯びていく。

 不完全で葛藤だらけで、ワガママで、だからこそ喜怒哀楽が彩り、幸福や不幸、美しさと醜さが共存して、勇気が尊ばれる現実世界の根性論。そこから発展する情念のドラマは、最終的には武士のチョンマゲのように。いずれは希少価値になる。そう感じてきている。

 それは、繊細な現代社会への皮肉なのです。これがお前らの望んでいた世界か?と何者かが嘲笑うような。そして完全に傷つくこともないであろうユートピアは、資本主義、デジタル社会の延長線上に予期されていたものであり、その土俵でガッツポーズをやめる者、そしてその常識に抗えるような、さらなる価値をもたらす者がいない広大な世界の嘆き。

 今、経済停滞で不幸が嘆かれている。治安も悪化し、犯罪も増えていますが、それは貨幣の価値が現実のひとつに集約しているからです。仮想世界に遥かなる需要があるならば、現実世界で嘆く人々は全員そちらへ行けば、グローバルで見る格差問題は目立たなくなります。そして人々は平等に快楽や幸福を貪り、大きな不満から遠退いていく。

 遺伝子組み換え(ゲノム編集食品)で食糧危機を解決。極僅かな資本家は現実世界で利益を独占、富がこれ以上金持ちに集中しても、仮想世界で満足する国民は満足。暴動は少なくて済む。これは陰謀でもなんでもなく、資本家達が想定する当然のリスクヘッジだと思うんです。

 しかし、それが明らかに偽物の世界でも、現実と区別がつかないとしたら。いや、はるかに現実よりもイージーモードなら。自殺が増加する現在地より全然マシな社会にも思えてくる。常識へのパラドックスは、終わりが見えない。

 誰かが素直になった時。またその外側で何が起きるのか、メタな視点を持つことが重要になってくる。メタバースの伏線をさらにメタするという選択。

 メタ・メタバース。それは地球を支配する現実そのものへの知恵になる。

 現状認識(現実認識)が難しくなることが確定する未知ある未来では、不完全さから来る高揚、物語、うまくいかないからこそ磨かれる人格が、実は人類にとって本当に貴重であることを再認識できる最後の機会になってしまうかもしれません。

 悩める力。幸と不幸が共存する世界だからこそ、多様な価値観、そして争い。そこから感じる情緒や人間らしさ。なぜ人は優しくなれるのか。なぜ人は涙を流すのか。なぜ自信がなかったはずの健気な少年少女が夢を叶えた時。人々は勇気を貰い、心が洗われるのか。そういった感情は、人間の中にある、苦しみを乗り越える力を証明している。それを人は、感じる必要がなくなるのだから。夢がある一面、危険でもあるかもしれないよね。

 
 みたいな言葉が頭に閃いたけど、30年後の若者たちに老害だと言われそうだから、ひとまずやめときます。笑


Mr.J-Boy

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?