名言の訂正

 確かトーマス・カーライルの言葉だったと思う。沈黙の使いこなし方は人生を好転させる。一瞬で長文が閃く私には耳が痛い言葉なのだけれど、これは事実だとも言える。

 ”沈黙は金、雄弁は銀”

 事実である反面、それはあくまで”個人的な利益を想定したもの”とも言える。矢面を回避する為に機が熟すのを待ちわびるのは、また大人なりの計算高さを感じさせるからだ。

 しばしば”誰かの為に”損害を被る行動はジャンプ漫画で美化されがちだ。ナルトや鬼滅の刃などの主人公の魂には仁が宿っており、それこそがヒーロー像の王道であるかのようだ。

 我愛羅「なぜ…他人の為にそこまで…」

 簡単だ。皆それが出来ないからである。特に稼働領域が増えた近年のスマホ総インターネット社会では、時間が足りず、皆”自分のタスクをどうこなすか”を考えがちになっている。

 他人の為に動く。すなわち自分の貴重な時間を誰かに費やすことに繋がり、精神的消耗を伴う。なぜなら、誰かの為に動く場面というのは大体、その誰かはそれなりにピンチだからである。

 友達が増えれば、自分の為にならないと判断した人間関係は一掃できる。損得と人情にどこかで合理性を求める自分に気づけば、相手が同じ血の通った人間であることも忘れそうだ。

 そして何より、雄弁は心の中の文字を器用にテキスト化できる、言語化できるスキルに他ならない。故に思想可視化装置の役割を果たして、自分の信じる何かを強調できる反面、真反対の考えを否定する。または、誰かが”否定されてると感じるような表現”をしてしまうことも少なくない。そして表現から価値観の相違で炎上、思わぬところで被害を被ることになる。

 これはあくまで私独自の解釈なのだが、人間は皆不完全だし、心のどこかで大小のスケールを抜きにして差別感情があるし、性格の悪い部分を兼ね備えている。

 そういった短所をカバーする為に、雄弁は銀、しかし沈黙はそれを上回る金の役割を果たすということをカーライルは言いたいのだろう。

 当たり前のことを言っているんじゃないよ。ってね。

 しかし強調したい。多くの人間は本当の意味でそれを理解してるわけじゃない。雄弁は銀の本質は、誰かの大事な考えを奪ってしまうことにある。心の中で自分が自然を感じる思想・考え方を無防備に世に晒せば、その正反対の考えを持つものが反作用のように”自分が大事にしているもの”を奪いに来る。ということだ。

 名誉毀損で訴訟を連発してるツイッタラーのツイートを眺めると、そのツイッタラー自身も他人の考え方を執拗に否定していることがある。

 ”誰か・何かを否定したい”が第一ステップ。”その理由が明確にある”が第二ステップ。ここで止まることが賢い。これがすなわち金だ。それを”言語化した時”第三ステージに入る。すなわち銀。言葉の巧みさに誰かを魅了できるかもしれないが、反対側の思想を持つ者は面白くないと思う。そしてさらにそれがエスカレートした時、第四ステージ。炎上になる。

 これらにへこたれない者は、かなりSNS向きの人間と言えるだろう。近頃インターネットを介した自殺や鬱が増えている中でも見習うべき逸材かもしれない。

 種明かしをするならば。”人間全て”に、否定できる材料がある。常識からどこか脱線した思想がある。”全てである”。それは大量の血を流す者に共通した宿命。

 それを理解している人間は、また自らが否定されることを悟り、自分の短所をカバーする。沈黙という器に乗って。

 相手の弱点を指摘しない。それはまた自らの弱点を見逃してくださいね。という意思表示を含む礼節。

 こうみると、人間関係の器用さは、いかに”見逃してやるか”に尽きている。短所を指摘するとラチが明かないから、長所を見てあげましょう。という発想・戦法。

 しかし、いつからだろうか。それが少し危険だと思いはじめたのは。

 今や、”沈黙は金”を多くの日本人が守っている。利口かつ繊細な私たちは、名言を知るまでもなくコレを遂行できていたのだ。しかし今の日本の情勢はどうだろうか?

 決して誉められたものとは言えない。沈黙の連続の先は、誰かにとっての都合のいい社会だったのかもしれない。

 クラスのイジメが止まないのは、沈黙を破ればまた自分がターゲットにされるかもしれないと恐怖している人間たちが金を選んだからだ。

 会社の不正を見てみぬフリするのは、沈黙を破れば会社の不利益になり、巡りめぐって自分の状況を悪化させると恐怖した人間たちが金を選んだからだ。

 その結果、上層部がやりたい放題のカオスフィールドがそこらじゅうに生まれ、日本の心の病は倍増されていった。

 特にそれを絵に表したような芸能事務所がある。それがジャ◯ーズではないだろうか?

 何事もいつかは時が来るものだ。間違いを改めなければ、どこかで破綻する。狂った歯車を放置すればその他全ての歯車もまた、バキバキに壊れていく。

 どうせアイツらは痛い目見るよ。なんて言いながら、痛い目見た時にはもう遅すぎる。その時にはなぜか正しい考えを持っていた人間たちも、不正を好む人間と共に何かを諦めた死んだ目をしているだろう。笑

 
 このきな臭い世の中には私が特例でカーライルの発言を訂正しよう。

 
 ”沈黙は銀、雄弁は金。”  とーー。

 
Mr.J-Boy

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