父の借金
子どもの頃、いろんなところに連れてってくれた
いろんな人に好かれる優しい父だった。嫌いじゃなかった
バブル崩壊直後、私が卒業し就職すると同時に父は仕事を辞めて自営業を始めた
不景気の中、仕事が順調に回ることなどなく、みるみるうちに借金が膨れ上がり自転車操業に。
家には借金取りからの鳴り止まない電話
何度も鳴る呼び鈴、ドアを叩く訪問
郵便ポストには督促状の束
夜に電気をつけず居留守を使う日々
母のパートと私の給料をつぎ込んでも生活費さえも足りない
たった5000円のガス料金も後れて支払うしかない
食べるものも水溶き片栗粉のみのときもあった
その貴重なお金さえもギャンブルにつぎ込むようになった父
追い詰められ「一攫千金で借金を返済できるかもしれない」
そんな思考に陥っていたのだろうか
母はいつの間にか借金の保証人にされていて、私に泣きついた
「こんな生活もう、いやだ・・・」
気が強く、気丈な母が子どものように泣き崩れる姿を見て私は激しい憤りを感じた
父が作った借金で母に苦労をかけ、それでも反省の色を見せず自営業を辞めようとせず、働くこともなくギャンブルに興じる父。
呆れた私はこっそりアパートを借り、父と母を離婚させた
「お前なんて1人でどこかで野垂れ死んでしまえばいい」
そう言い放ち、母だけを連れて家を出た
それから母と2人、昼も夜も働いて借金を3年で完済した
風の便りに父は家を売りどこかの建設会社で働いてると聞き、心がざわついたが、感情を無にしようとした
「どうしてるんだろう」そんな引っかかりはずっとあった
それから数年後に私は結婚し、子どもを産んだ
身内のトラブルでどうしても父と連絡をとらなければならなくなり、10年ぶりに会うことになったが、昔のような憎らしいと思う感情は不思議となかった
私と母が借金を背負い、返済したこと
あの頃は父も頭が回らず、迷惑をかけていたと気付けずにいたこと
親切な社長さんが父を助けてくれて、なんとか生きてこれたこと
少しづつわだかまりが解け、孫達と遊んだり行き来するようになった頃
父は癌が原因であっけなく亡くなった
火葬場で最後の言葉を述べるとき、ずっと言えなかった言葉をかけた
「お父さん、1人にしてごめんね」
あの頃の私には父を1人にするしかなかった
それは言い訳なのかもしれない
だけど借金返済のために昼も夜も働いていたこと、辛かったけど自分には「逆境でも生きる術を見つけることができる」と思っている
心のこりがゼロの人生なんてないかもしれないが
自分で決めたこと、後悔しないように生きたいと思う