VivaceとAllegro〜どっちが速い?よりも大事なこと
Vivaceとはなんなのだろう。これが「生き生きと」「活気に満ちた」という意味から、どちらかといえばテンポの速めの演奏を望んでいるのは分かる。
だが、なぜ「allregro」とは区別されるのだろう?
そして、では「allegro vivace」とはなんなのだろう。
Hob1-101の第4楽章2/2は「vivace」である。「allegro 」ではない。一方、同じく104の第1楽章主部は2/2allegroである。なぜ、この2つメロディに対してvivaceとallegroを区別するのだろう。
そこには差別化されるべき決定的な違いがあるからではないだろうか。という仮説が自分にはある。
「viva」が「生きている」とか、「生を祝う」とか意味であることと関係は浅くはないだろう。
個人的な主観だが、vに関する単語には肉体的な生命力を感じさせる一方でalleには気持ちの面での元気、明るさに繋がるものがあるように思う。
別な言い方ではvivaceには縦方向の躍動性allegroには進行方向への推進性を感じる。vivaceは跳ねる、着地するというアップとダウンの組み合わせの運動、allegroは起点から帰着点への運動ともいえる。
その運動の違いから考えるとvivaceの方がallegroよりは遅くなるとするアーノンクールなどの指摘も納得できる。だが、それは結果であって、差別化の目的は速さの差ではなく運動の違いなのだ。
Hob1:101の第4楽章はボウイングで見ても1小節めはアップであり、次の小節ではダウンとなるという組み合わせで捉えてみると、確かにHob1:104の第1楽章主部allegroの歌い方とは異なる運動が見えてくる。
「時計」の第4楽章の場合、
①0|0 ②1|2 ③3|4 ④5|6 ①7|8…
という運動の動きがある。vivace の運動とはこういうものなのだ。
同じようにベートーヴェンop92の第1楽章主部vivaceもこの運動性に乗せて演奏するとしっくりくる。この音楽が速さよりも跳躍を感じさせることは他の楽章とは一線を分けている。
このvivace の持つ二つの小節のペアを基盤にする動きは、largoにも通じている。
adagio→andante →allegro
という緩急グループとは別の概念で
largo→vivace
という緩急対比のグループがあるのかもしれない。
メトロノームによる速度の数直線的にテンポを考えるようになったことで、こうした別の対比関係がぐちゃぐちゃにされてしまったのではないだろうか?
さて、vivace のこの二つのアップとダウンの組み合わせの二つの小節による音楽進行は効率的ではない。ハイドンの交響曲にvivaceは少なくないが、モーツァルトの交響曲にはあまり見た覚えがない。むしろ、モーツァルトはallegro vivaceの方がよく用いられている。こんなところにvivaceの方が古めかしいスタイルであり、まどろっこしいイメージがあることが想像できるのだ。そこにはvivaceとは決定的な運動の違いがあるのだ。
例えば、K.551の第1楽章やベートーヴェンop93の第1楽章はallegro vivaceである。これら二つの例を見ていると「二つの小節のアップダウンのセット」は考えにくい。
だが、いわゆるallegroとの決定的な運動の違いはどこにあるのか。それは運動の開始の起点の違いにある。
K.551はそのヒントを与えてくれる。
K.551の2小節目の最初の四分音符は1小節めの運動を受け止めている。そして、そのインパクトは3小節めのアウフタクトを起こすきっかけとなる。つまり、1小節めはアップの呼吸の塊であり、2小節め以降がその余波で運動していく。小節の作る4拍子を表してみると
1|234 5|678…
という構造が見えてくる。これはベートーヴェンop93にもそのまま当てはまる。やはり2小節目がポイントになる。
※小節の中を四分音符で数えているような段階では想像できまいが。