はじめに
ここで書いていく記事は自分の演奏に関する思いつきです。練習での説明の時に使うための頭の整理でもあります。
青年期に、バッハやヘンデルや、ハイドンやモーツァルトなどの作品を指揮したりしていました。でも、30代に差し掛かる頃に、ある決定的な「気づき」がありました。そこから自分の演奏に関する考え方は大きく変化しました。
他人のどんな演奏も、それは他人の問題でしかありません。参考になるところはあっても、あるいはとても気に入らないことがあっても、それは自分には全く関係ないことと思うようになりました。批評には意味がない。他人の演奏をどんなに批判したところで、それは自分には関係のない問題です。それをしたところで、だから何が得られるのかなのです。
かつてはレコード産業に踊らされてたくさんの演奏を聞いてはあーだこーだ言ってましたが、それは過去の話しです。若気の至りってところかな笑。いまでは持っていたレコードやCDも、録音や録画もほとんど処分してしまいました。もし自分が死んだらゴミにしかならないなぁと考えるようになったからです。
今、自分は、演奏することについては意欲的です。ですから、自分にとって、大事なのは、いかに楽譜から何かを発見できるか、そして。明確にそれを伝えられるかです。
作者と作品は切り離して考える。伝記や歴史的背景とかはどうでもいい。楽譜からどう音楽を再生できるか、そこにどんな可能性があるかが一番の興味であり、目的なのです。
ですから、ここに書いていくことも自分の気づきであり、仮説であり、あるいは自分の若い頃の価値観への批判なのです。そういう意味で自分との対話なのかもしれません。自分の歩んできた道は否定できません。でもその価値観と対比していくことで新しい自分の視野を見つけていく材料になります。そうしていこうというのが30代の頃の大転換の決意でもあります。
なので、読まれる方の好みに反していたとしても、私の目標は批評ではないということをわかっておいてください。今更、この界隈の産業の盛衰に加担する気はないのです笑。
また、ここで意見の違いを戦わせることも望んではいません。ここでの内容が何かしらの反発を呼んだとしてもそれはご自身のところでやってくださいね^ ^
それでは、これからよろしくお願いします。
自己紹介に書いたように基本は、火水木金の通勤電車の中で、何も見ずに書いています。ですから、細かい間違えはあると思います。また、自分自身も日々考え、実践し、変化しています。辿っていくと矛盾が出てくると思いますがご容赦ください。