岸田首相の「聞く力」
当初、なぜ「聞く」を使ったのだろうと気になっていた。
ある意味理解ができた。
文字通り「聞く力」なのだろう。
「聞く」とは音や声が自然に耳に入ってくること。
一方「聴く」とは理解するために努力して聴くこと。
岸田首相の聞くは耳に入っただけにすぎない。
表面上なだけで真意の理解まで到達していないのでは。
理解していないから他の声に惑わされ方針転換。
理解していないから指示も的確に出せず検討要請。
指示された方も理解不足でズレた対策になる。
理解ができていなければ決断も実行もできない。
話をした側にしてみれば本意とズレる。
聴きに行く姿勢がなければ本当に理解するに至らない。
聴くとは相当な力が必要なのだ。
真意はどこにあるのか。
重心はどこなのか。
その言葉の裏には何があるのか。
何を求めているのか。
時には数回同じ内容を聴き本当の声を引きだす。
声や言葉、表情は当たり前だが空気感や感覚を感じ取るのた。
それゆえ私の聴くは味覚以外の感覚を使い時に六感が働く。
総理の立場から一日に何人もの話を聞くのであろうから本当に聴く力を持って聴いていたらそれだけで相当な体力を奪われクタクタだろう。
岸田首相の聞く力は誰の言葉を聞くためのものなのか。
消極のきくではなく積極のきくを養ってほしい。