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駄文を書いても良い世界

とある業務のために、トレンドに敏感なビジネスパーソンが好んで読むようなビジネスメディアでよく読まれている記事コンテンツをひたすら追っていたら、結構喰らってしまった。

どの記事も、成功した理由や、開発の裏側だったり、あるいは、やれDXだAIだリスキリングだのと、どこかで見たことあるようなテーマや切り口ばかりである。そして、どの記事もすべからく圧がすごい。とにかく分析してやろう、わかりやすく噛み砕いてやろうという編集者や書き手の心意気がすごすぎて、ほとほと疲れ果ててしまったのである。(これらの記事は悪くない、たまたま自分が今、そういう状態というだけである)

自分の業務の中には、こういったコンテンツを制作するということも含まれているので、自分もまた、明日か明後日には同じようなものを作らざるを得ないのかと考えると、ちょっとウッとなってしまったりする。
決して仕事や会社が嫌なわけではない。ただ、なんというか、ちょっとひと休みしたくなってしまったのだ。

普段の業務の中で、いわゆるコンテンツというものを作っていると、自分自身が持っている“表現欲”も、その過程である程度満たされている感覚があった。しかし、作るものはあくまで企業が必要とするものであり、自分自身が作りたいものではない。
企業が必要とする要素に対して、自分自身が興味関心がある切り口を多少なりとも混ぜ込むことによって、少しでもオリジナリティを生み出せたらと思うし、そうすることが自分のモチベーションにもなる。時には、まるで興味関心の糸口をつかめないお題もあったが、どうにかこうにか折り合いをつけてきた。

つまり、企業が欲しいコンテンツ=自分が作りたいコンテンツとすることで、自分の仕事に対する満足度をなるべく高めるよう努めてきたわけだが、なんらかの限界値を超えると、作る意欲がガクッと落ちる。そのきっかけは様々で、本音では作りたくないけど作らなければならないものが連続で出てきた時だったり、今回のように、自分が普段作っているようなコンテンツをふと客観的に見た時に感じた、なんとも言えない息苦しさだったりする。

そういう時は大体、作ること以外の何かに没頭するようにしている。ゲームをしたり、とにかく寝たり、温泉に行ったり。しかし、今回はなんだか無性に、仕事以外で何かを書きたくなった。だからこうして、特にテーマも持たず書き殴っている。

いつも仕事として文章を書く時は必ず考える記事構成も、今は何も考えていない。頭よりも手だけが動いているような感覚である。
この文章が誰かの役に立つとか、タメになるといったことはまずもってないだろう。誰に何を伝えたいのかわからない、いわゆる駄文であることは間違いない。

ただ、駄文を書きたくなった。必要なんだかないんだかわからないような企みや狙いなんかなく、とにかく思うがままにキーボードを打つということをしたくなった。

優れたものだけが創作ではない。意図が明確で、わかりやすくてためになるものだけが存在を許されるほどこの世界は窮屈ではないと信じたい。

という話。

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