『ファッションが好きな二十歳の君へ』 君にも夢はあるだろう
君にも 夢はあるだろう
ミャンマーの若者に・・・
語りかけたことがあります
彼女らの返事は・・・
そんなこと「考えたことがない」
あの日から・・・
この問いかけに 封印しました
私が、ミャンマーへ入る
決断をしたのは・・・
フィギュアスケートの世界を知り
幼少から 挑み続けた 彼女たちに
直向きに挑む姿を 魅せられたから
私に 残された時間・・・
私だから、できることがある
そんな想いから、欧州のモノ作りと
ミャンマーが 結びつきました
私が、腹を括っていたのは
この国の若者に 何が必要だろうか
それを見つけることが ・・・
私の仕事と決めていました
若者が、生きがいを感じれなければ
次代の縫製工場として成立しない
そう考えているからです
欧州のモノづくりは 結果よりも
取り組むプロセスを理解してくれたこと
それには、頭が下がりました
人間として 正しい生き方をする
それが、彼らの・・・
企業 コンプライアンスかもしれません
本音で語る彼らに・・・
私の経営意識は、間違っていました
彼らから学んだ、私の印象は・・・
これからの人生が、面白くなりそう
ミャンマー若者の考える力は
日々、私の想像を超えていきました
私が求めたのは、製品を触り
美しいと 感じる心です
それが 驚くほど、浸透します
なぜ、この形ができると思う?
そう問いかけますと、目は輝きます
手がけている1枚の製品は
彼女らの年収以上の価格です
それを纏ったこともありません
服を創り出すものにとって
美しいと感じる心は
美的な感性ではありません
なぜ、その形ができるのか
その好奇心から始まり・・・
技術はそこから育まれていきます
何度も、何度も繰り返すうちに
美しさを感じる審美眼が育まれます
私は、この子たちなら
理想とする工場ができると感じました
2015年、村の電話は1本です
若者は、携帯電話も持っていません
仕事が終わりますと スタッフは
暗い森の中へ・・・消えていきます
その姿を見送っていますと
感謝の気持ちが、湧き出てきました
日本は 便利な情報に 溢れ
居心地よく、感じるかもしれません
とっても、組織化された社会です
企業も、より便利な製品へ
新しいものを創り出すことに懸命です
それが 日本人の求めている裕福・・・
私は、ミャンマーへ入り・・・
もう、消費拡大の路線に戻ることはない
なぜか、そう考えるようになりました
私らしいとは、どういう生き方か
彼女らと一緒に生きていると
生きることは、みんな平等
いつも、ミャンマーの森に
そう・・・ 語りかけていました
私が、ミャンマーの若者へ
君にも 夢はあるだろう・・・
このメッセージを封印したのは
これが、私の偏った思考・・・
彼女の返事に、そう感じたからです
いかにも、生きるには 夢は必要だろう
と言いたいような、問いかけです
彼女らと3年間 生活を共にしますと
私の夢を抱く意味は 変わりました
いま、私は 本音で生きていますが
ビジネスも同様で、建前はありません
世の中、自分と異なる考えはあります
私が 正しいわけではありません
異なる考えは 当然であり
それが 人間です
それを受け入れると
自分のビジョンも変化していきます
ミャンマーに入り・・・
1週間寝込んだことがあります
当時、デング熱が流行し
みんなに心配をかけました
「ボスが 元気になるよう
みんなで 祈ります」と・・置き手紙
あの時ほど・・・
神仏に感謝したことはありません
毎日、部屋の外に果物と
笑える絵が 添えられていました
本当に 彼女らに命を
・・・救ってもらいました
日本が 失っているものは
これだ・・・と感じました
この国なら・・・
想いを込めた服作りができる
決して、裕福とはいえませんが
人間が 生きるには
十分すぎるほどの 愛はあります
私が、もう一度
工場を築きたいと、諦めないのは
ミャンマーの若者なら
服に命を吹き込む
それができると考えるからです
ハンドメイドという
1針1針の服作り
これを進化させたい
それが、私の目指す服作りです
1週間、熱にうなされましたが
その夢は、しっかり描いていました
幼少から、服作りをしてきましたが
1着の服に命を吹き込む
そこに・・・
どんな意味と価値があるのか
私は、そこから・・・
人間が、生きる意味を伝えていきたい
25歳の時、パリの小さなアトリエを
フランスLECTRA社から紹介されました
パリのアトリエで、自分のコレクションを
制作する 女性モデリストを訪ねました
最初に質問されたことは・・・
あなたは モデリストに何が必要だと思う
私は、自分で 試すこと・・・
あの血の気が引いた経験は、今も忘れません
彼女の回答は、機械化に進むのでなく
人間が モノを作る技術を高めることよ
機械メーカーの LECTRA社が
なぜ 彼女の紹介を・・・ そう尋ねますと
Mr.Mizutaniの 理想を考えると
彼女の生き方なら、参考になるのでは
・・・ そんな 回答でした
あの時、パリのアトリエで 小さな種が
私の心の中に、ばら蒔かれた気がします
その後、私は・・・
中国上海へ工場の進出をしました
ただ、福島の縫製工場の社長様だけが
日本に留まる価値を見つけなさいと・・・
若い君が、服作りを合理化するシステムと
機械に依存する道を走るんじゃない・・・
まったくパリで言われた事と同じでした
今更ですが・・・
今なら、その意味と価値は わかります
人間は、何を大切にすべきか
お二人とも 50年先が
みえていたとしか、思えません
いま、若者へ 何を伝えるべきか
私が 大切にしているものは
人間らしさを育むこと・・・
その上で、機械も活用することです
人間が 機械を活用し
どうのように創造力を高めるか
それを・・・考え続けることです
私が パリのアトリエで
彼女の生き方に 憧れたこと・・・
あの時の種は、40年間 腐らずに・・
芽が出始めたのは、60過ぎてからです
人間は、いろんな経験をすることで
心は、豊かになります
苦しみの種を蒔かれることもありますが
私は、その種に水を与えませんから
大丈夫、苦しみの種から 芽は出ません
私の機械との向き合い方は
データはすべて、デジタルですが
感覚を高めるための作業は拘ります
例えば、ボディ採寸をする場合
これからの時代・・・
全身3Dスキャンで測定できますが
私は、全身をメジャーで計り
お客さまのボディー原型と
デザイン原型は、手書きデータです
なぜ、そこに価値があるのか
それが、私の創造力を育む原点です
私が、若者へ考えて欲しいことは
いま自分の理想とするモノ作りを
・・・ 考え続けることです
会社ではCADがあるからできる・・・
でも、CADのない自宅でも出来ます
そこで初めて・・・
自分が 必要とする技術がみえてきます
たかが服つくり、すべて手作業で
一流の服に仕上がります
早く、安く作ること・・・
それは 自分で考える、根気が要ります
自分で 考え続ける 独学が 重要であり
生涯 いちばん、役に立つものになります
私は、海外の若者と
接することが多いですが・・・
人生は、思い通りにはいかない
どの国の若者も、そう言います
私も、そう思います
ただ・・・
そこで、何を学ぶことができた?
その経験をプラスの種にしておくことです
憎しみの種は、存在させません
いろんな 経験をするから
悔しくて、何度も、泣いているから・・・
自分の道を・・・
勇気を持って、選択できるんです
私が、異国の方を愛せるのは
同じ地球に住んでいる人
単純に、そう思えるから・・・
国によっては、白をグレーと
言わなきゃ、生きられないこと
いつのまにか・・・
自分の考えを話すことができる
それが 普通と思っていること
どの国も、いろんな人間がいて当然です
私は、笑われることが多いですが
いつものこと、と思っております
幼い頃、ばあちゃんには
笑いたい人には、もっと
笑わさせてやれと言われました
幼い 私は、ばあちゃんに
その怒りをぶつけていましたが
いまでも、笑いたい人には
笑わさせてやれ・・・と
やさしい声が、聴こえてきます
私が、強くなれたのは
人から笑われても・・・
当然と思っているから
それが 、いちばん 自分らしい
人間は、生きることに
そんな、カッコつけなくてもいいよ
2024年6月16日 笑月 水谷勝範
追伸
いつも休憩時間に・・・
ホットな投稿を読ませていただき
とっても感謝しております・・・
今日も蒸し暑い一日になりますが
どうぞ、ご自愛くださいませ、合掌