都民、22時前にゲームソフトを買いに行く
私は東京の城東に生まれ、そのまま大人になるまで下町で育った、しがない一庶民だ。
就職後すぐ数年間都下に住んだものの、現在は城東に戻って生活をしている。
私は東京都心が好きだ。
私のような小さき者にとって、都心の持つ可能性は想像を絶するくらい大きい。
ここは何でも出来るし、何も出来ない。
今日はそんな話がしたい。
21時43分、私は驚く家族を尻目に家を飛び出していた。
今しがた、数日前から欲しかったゲームソフトを買う決断がやっとできたからだ。
財布、スマホ、家の鍵をリュックに詰めて走っている。目的は50分発の電車だ。
私は焦っていなかった。何故なら電車が定刻通り来ることは分かっていたし、それに間に合う時間的余裕があることも分かっていた。
そして何より、それを逃しても5分後には次の電車が問題なく来ることも分かっていたからだ。
21時49分、改札に向かう階段を滑るように降りていると、ぶわあっと生温く強い風が吹いてきた。
ああ、電車が来る。
私は捲れ上がった髪をいなしながら、改札を通った。
そしてすぐにアナウンスが鳴る。
滑り込む電車のブレーキ音。
軽快に開くホームドアの音。
私は定刻通り来た電車に愛おしさを覚えながら、降りる人を先に通す。
そして次に、降りる人たちのために一度車両を降りた心優しい男性を先に乗せた。男性は私まで先に乗せてくれるような素振りだったので、黙って手だけで「どうぞ」をして、先に乗車してもらった。
軽く会釈をされ、私はこういうコミュニケーションが嫌いじゃないことを噛み締めた。
21時55分、目的の駅についた。
ゲームソフトを売っている店は駅から歩いて5分。23時まで開いている。とても余裕だ。
私はのんびり夜の街を歩き始めた。
恥ずかしながら私は自家用車を持っていない。運転免許は仕事のために取ったものの、すぐにペーパーゴールドになった。
移動手段はもっぱら徒歩、自転車、公共交通機関、ごくごく稀にタクシーだ。
私が自力で行ける距離はそんなに遠くない。
徒歩と自転車だけでは、体力と気力的にせいぜい隣の区までの移動で限界だ。
そこで登場するのが、我が愛しの公共交通機関だ。
都心の公共交通機関は、素晴らしい。
私が望めばたとえ22時前でも、家を飛び出て7分後にはホームに到着していてくれる。それを逃してもまた5分後には来てくれる。そして徒歩30分以上かかる距離をたった5分で安全に運んでくれるのだ。
ああ、あまりにも素晴らしい。この恩恵に預からずに都心に住むのは勿体ない。
皆この小さな幸せを噛み締めてくれまいかと願ってやまない。
そしてなんといっても都心の公共交通機関最大の魅力は、 「今からでも私は、この身一つでどこへでも行けてしまうんだ」という全能感を与えてくれるところにある。
もちろん実際限界はあろう。
でも、財布とスマホがあって、公共交通機関が動いている時間で、成人もしているともなればどうか。
例えばいま上野駅にいるとしよう。
私は行き先表示にズラッと並ぶ地方都市名を見て、わくわくする。
仙台、新潟、金沢、長野……私は私が望みさえすれば、今からでも特急券を買って次の新幹線に飛び乗れる。
仙台にでも行ってビジネスホテルに泊まり、牛タンを食べて明日にはとんぼ返りすることができる。
私は今からでも何でもできる。
都心の公共交通機関は身近にありながら、本当に楽しい気持ちにさせてくれるのだ。
22時ちょうど。私はゲームソフトを売っているお店についた。
本日のお目当ては、お店のちょっと奥まった棚に陳列されているPlayStation5のソフト。
『DEATH STRANDING DIRECTOR'S CUT』
私は空箱を手にとって、のんびりとレジに向かった。
今このソフトを買うのに特に深い意味はない。
ただ、前々から気になっていた。そしてこの間、続編が来年頃出るらしいという噂を聞いた。
そうすると日に日に欲しくなり、ついに17分前、いても立ってもいられなくなったのだ。
ちなみに私は昔からゲームソフトも本も現物派である。
気持ちは一目散、実際はのんびりした足取りという矛盾した状態でレジに並ぶと、先客がいた。
店員さんは一人で先客の相手をしている。
私はゲームソフトの空箱を胸元に大切に抱えながら、思い立ってから約20分で望みのものにありつけるという幸せをじっくり噛み締めていた。
レジが私の番になった。
私がゲームソフトの空箱を出して在庫確認のお願いする前に、店員さんはゲームソフトを出してくれていた。
私は驚いたが、同時に少し恥ずかしくもなった。
恐らく店員さんは先客の相手の途中、私がうきうきしながら抱えていたゲームソフトのパッケージが見えたのだろう。それで、アタリをつけて素早く用意してくれたのだ。
とても優秀な方である。
会計もスムーズで、私はすぐにお目当てを受け取れた。
私はすかすかのリュックにゲームソフトをそっと大切に詰めた。財布もちゃんと添えて。
22時5分、帰路につく。
上りの電車を待っていると、先に来た下り方面の電車の終点がとある地方都市だった。
私は、(今からでも行けちゃうなあ)なんて思いながら、少しうきうきした。
でも、今日はその選択はしない。
前に抱えたリュックの中の喜びをキュッと抱きしめて、ガラガラの上り電車に飛び乗った。
22時27分、無事帰宅。
家族は呆れて就寝していた。
私はこれから買ったゲームを起動する。
私は東京都心が好きだ。
一庶民のため、東京都心の持つきらびやかな側面を味わうことは今後恐らくないだろう。
でもこのまちは、今私がしたいことを高確率で叶えてくれる。
21時にあの映画がみたい。
22時にゲームソフトが買いたい。
23時に生ハムが食べたい。
そんな小さくて大きなわがままを叶えてくれる。
ただ、東京都心にも難しいところがある。
このまちはこちらが望む気力すらも失うと、何も応えてくれなくなるのだ。
何もしたいことがないと、ただの場所となる。
能動的に楽しもうとしないと、どんどん形骸化していく。
このまちを楽しむには、楽しみたいという気持ちと気力をなくさないように生きる必要がある。
まあずっと楽しもうと思うなんて無理だから、ほどほどに気力を持っていられたら御の字かもしれない。
私はいつか、このまちをもっと使いこなせるようになりたい。
私なりの美味しいもの、楽しいところ、綺麗なところをたくさん見つけるのだ。
そうしてこの愚か者の生活に少しでも彩られたら、少し長く生きてもいいかなと思えるような気がする。
ところで私は今現在、『Supermarket Simulator』や『JUDGE EYES:死神の遺言』のプレイ中であり、かつ『UNDERTALE』を復習プレイ中だ。
ほか『ラチェット&クランク パラレル・トラブル』を積み、『大神 絶景版』、『Ghost of Tsushima Director's Cut』もちゃんと積んでいる、ゲーム好きの風上にも置けない愚か者だ。
また今月は、予約していた『ペーパーマリオRPG』が届く予定である。
ゲームをあまりやらない人には、複数ゲームを積んでいるのに新しいゲームソフトを買う意味が分からないかもしれない。
それでも、私は買ってしまう。
愛しの公共交通機関同様、いつでも、好きな時に、私さえ望めば自由に好きなゲームができるという状態が、私にとってはとてもとても愛おしいことだからだ。