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あなたの日本語はまちがっていますよ 8
8、お花に水をあげる
「あなたの日本語は、まちがっていますよ!」と言いながら、それ自身が間違った日本語を広めているWebページが多くあるので、きちんと指摘して訂正しておきたいと思います。
「あげる」は敬語である。「あげる」は「上げる」であり、「いただく」と同じく「頭の上方にかざす」ことが原意である「謙譲語」である。
だから「お花に水をあげる」は「尊敬すべきお花様に、私が謙って水を差し上げます。へへぇm(__)m」という意味になってしまう。
尊敬語、謙譲語は、対人間の場合にしか使えない言葉である。だから「花」を尊敬し、自分が謙る「水をあげる」は、明らかに間違いなのだ。
「あげる(謙譲語)」の普通表現は「やる」である。最近「やる」を「卑語」あるいは「下品な言葉」という風に勘違いしてしまっている人が多く、「花に水をやる」が乱暴な言葉遣いに感じられるのだろう。
「水遣り」という言葉があるように、「やる」は普通語である。「お花に水遣りをする」を「お花に水あげをする」などと言うのだろうか。それなら敬語末期である。
「あげる」と「いただく」は、同じ「頭の上にかざす」が原意である。そのうち「あげる」が相手に渡す方向、「いただく」が自分が受け取る方向で、どちらも謙譲語である。
さらに酷い「あげる」に、「(数学で)両辺を2倍してあげると…」などという表現がある。
これの「あげる」を普通表現の「やる」に直すと、「両辺を2倍してやると…」となる。
語感の鋭い人ならこの時点で気づいたであろう。そもそも「両辺を2倍してやる」という表現そのものがおかしいのである。
これは「両辺を2倍する」でよい。そもそも「やる」が不要なのだ。その上「やる」を謙譲表現にして「あげる」にしている。「両辺を2倍してあげると…」は二重に間違った日本語である。
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「あなたの日本語は、まちがっていますよ!」と言いながら自分こそが間違った日本語を垂れ流している人達は、もちろんそのことに全く気付いていない。だからいくら「あなたのその理解こそ間違っていますよ」と指摘したところで、蛙の面に水、決して直しはしないし、「あれ、もしかしたら間違って理解しているのかなあ」という反省もない。そしてそれに騙された人達が、また間違った日本語を広めている。