河守晃著『7日で合格する小論文』(Gakken)読了
副業の個別指導で、教育実習間で三週間抜けた大学生講師が担当している高3生徒を期間限定で受け持った。
科目は英語と小論文。
私は大学院出なので、論文形式の文は書き慣れている。それで請け負ってみたのだが、小論文指導経験はない。
そんなわけで指導のヒントを得ようと思って読んでみた。
指導して思った。生徒自身が知識も興味もない分野の小論文を書かせても、内容的には中身のない“感想文”で終わってしまう。それを書き方中心に指導したところで全く意味がないのではと。
そんなことを感じていたからこそ、この本の指摘には納得した。小論文は、知識量で決まるそうだ。しかも、頻出テーマはかなり限定的で、どこも似たり寄ったりの課題を出しているそうだ。だから、同じGakken(学研)から出されている『読むだけ小論文』等を読んで、小論文頻出テーマの知識を身に付ける方が効果的なわけである。
小論文の指導は、書き方の添削中心になりがちだ。実際その生徒の最初の質問が「この字数なら段落はいくつが妥当ですか?」だった。そんなのケースバイケースである。でも、きっと形だけの添削指導ばかり受けていたら、そんな形ばかり気にするようになっていまうのだろう。書いてる本人も楽しくないだろう。
むしろ、小論文の課題を先に与えて、関係知識をインターネットで調べさせたり、それこそ前述の『読むだけ小論文』を読んでみさせたりして、知識を十分につけさせてから書かせた方がいい。書くことで頻出テーマの知識が定着するし、使いこなせるようになる。
自分は日本史講師なので日本史の論述の添削指導もずっと行ってきた。日本史の論述は、知識不足でいくら文を捏ね回したとしても、中身のある論述は書けない。
「書き方云々より、まず知識を付けろ❗」って生徒には常日頃言ってきた。
最近の例なのだが、「『禁中並公家諸法度』が出されたときの政治状況を書け」という問題で、この法令が出されたのは1615年で、まだ(貿易に積極的な)徳川家康が生きているときなのに、「鎖国の準備のために…」と書いてきた生徒がいた。
これはどうしようもない程の“事実誤認”なのである😱
鎖国はどう遡っても1616年からである。この年に中国船を除く外国船の来航を平戸と長崎に限っている。これが「鎖国の原点」と呼ばれている。ちなみに貿易に積極的だった家康が死んで二ヶ月後である。
参考までにいえば、中学校社会で「鎖国の完成」とされているポルトガル船の来航禁止は1639年。まだまだまだまだまだ先の話である。
それなのに、1615年発令の法令を鎖国と結びつけようなんて、どうアクロバット的な文章能力を駆使したとしても不可能なのである。
正確ではない知識を根拠にいくら書いても1点も取れないのは、日本史の論述は勿論、小論文も同じなわけだ。
そして思った🤔。
小論文の指導で、生徒に課題を与える際、関係知識のレクチャーをしたり、関係知識を得られる書籍の該当箇所を指摘して読ませたりすることは、単に大学受験のための勉強にとどまらず、様々な社会問題への知識や感心を身に付けさせる、真の人間教育に繋がるのではないかと。
そんなわけで、小論文指導もやってみたいと切に思った。これから読む本は総合型選抜や小論文関係が続く。
本を読み、それを即仕事に生かせるというのは、幸せなことではないか?
ちなみに小論文講師の募集記事を見てみた。殆んどが添削要員だった。
要は先生様がご自分でレクチャーするだけして、それを聞いた生徒が書いてきた小論文の添削は“下っ端”やバイトにやらせるだけっていうよくある図式なんだなと悟った。
少子化の時代だからこそ、レクチャーも添削指導も同じ講師がやるべきだと思う。添削指導をすることで、自分の授業の伝わり具合、生徒の学習の進度と深度など全てが確認できる。そして添削結果を授業でフィードバックしていけるのだから。
なんだが感想文というより教育論になってしまった。まぁそれだけ私は自分の仕事が好きなんだろう😁。