果実氷いちごを抱いている
もう一緒に球場へ行くことはないんだなぁって思ったところで、目が覚めた。
なんだ、この夢。そんなこと、夏の大会のころからずっと解っていたことなのに、今ごろになってこんな夢を見るなんて。
もちろん理由は解っている。こども達の巣立ちが、もうそこまで迫っているからだ。息子は家に残るが、娘は東京へ出ていく。
週末になるたびに、やれスーツだ、食器だ、家具だと買い物三昧。選ぶこどもに付きあう時間は楽しいけれど、結婚するわけでもないのに何だか娘を嫁に出すような気持ちになる。
「やりたい仕事を見つけなさい。全国どこへでも、海外へでも、親のことなんか気にせず、行きたいところへ行きなさい」って、ふたりにくり返し言ってきたにも関わらず、トーキョーに娘を取られるような、そんな気持ち。
じりじりと精神が削られている。
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長いあいだずっと、母親失格だと思っていた。
わたしは思い描いていた人生計画よりも数年はやく結婚して、母になった。定年まで働き続けるつもりだった仕事は妊娠6ヶ月で辞めざるを得なくて、友人がキャリアや趣味を充実させていく姿を、くすんだまなざしで見ていた。
発語がおそく自分の興味のある世界だけで生きている息子と、産まれる前から常にコミュニケーションを求める娘。2歳差の幼いこども達を両側の腰骨で抱きながら、ひとり焦り、いらだっていた日々。お願いだからひとりにしてとトイレで鍵をしめ、耳をふさぐ日もあったし、家族が寝静まった夜中、リビングでクッションに顔をうずめて叫んだ日もあった。
この愛くるしい時間をカプセルに閉じこめておきたいと思う瞬間もある一方で、一日も早く大きくなって自立してほしいと願う時間の どれだけ長かったことか。
将来自活できるように育てあげなければならない、“いい子”に育てなければならない・・・と思うたび、大きなプレッシャーがのしかかった。自分の母のように手をあげる母親になってはいけない、こども達を萎縮させるような怒りかたをしてはいけないと強くつよく念じていたけれど、愛すのも叱るのも育てるのもこの方法であっているのか、正解がわからなかった。
愛しているつもりだけれど、愛せている自信がない。かわいいと思うのも、自立できる大人に育ってほしいと願うのも、なんだか全部ぜんぶ自分本位だと感じてしまう。考えはじめると、愛ってなんだろう?くらいの深さまで潜ってしまって。愛せているかどうかわからない母親なんて、母親だって言えるんだろうか。
「何時いかなる時も妻は夫を、母親はこどもを、最優先しなければならない」
「つねに世間的に良い母親でなければならない」
あの頃のわたしはその思いこみでがんじがらめだったし、それを苦痛に感じる自分が嫌でたまらなくて、そんな自分から目を背けていた。
呪縛を最初にゆるめてくれたのは、おとちゃんとの時間だった。息子の通う幼稚園で出会った彼女と話すうちに、わたしは呼吸がすこし楽になった。
完璧に主婦業や母業をこなさなくたっていいし、「誰から見ても、いいお母さん」じゃなくてもいい。たまには自分を甘やかしてもいい。そう思えるようになったのは、張りつめていた緊張をほぐし、余計な鱗を剥がしてくれた 彼女のおかげ。
いっぽうで「愛せているか」の問いは、まるで人生のチェックリストのように自分に付きまとった。わたしは他のお母さんのようには こども達を愛せていないのかも・・・という不安や劣等感が、こころの奥底にずっとあったような気がする。
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「どうせ球場まで送り迎えするんだから、選手の写真撮ってよ」と娘が言ったのは、彼女が野球部マネージャーになって4ヶ月後、秋季大会地区予選がはじまる8月のことだった。
そこから練習試合や遠征もふくめて彼らの試合にほぼすべて同行して、写真を撮りつづけた。ずっと望遠レンズで部員たちを追っていると、たまに娘の姿が目に入る。家では末っ子モード全開の娘の、成長した姿が。
「なんで私の写真、撮るかなぁ。要らないのよー。選手だけでいいの」といつも言われるけれど、裏方のマネージャーふたりも こっそり撮っておく。
真剣になれる部活と出会い、仕事や課題を探しては自主的に取り組むようになった娘。楽しそうに準備して働く彼女を見ているうちに、気づいた。
育っている。娘は勝手に育っていた。
もう「ちゃんと育てなくては」なんて気負わなくてもいいんだ。
肩のチカラが抜けた。
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あれは娘が高3の初夏のこと。遠征先から学校へ戻ってきたのは、たしか20時過ぎだったと記憶している。バスで帰ってきたこども達と、自家用車に乗り合わせて応援に行っていた保護者達。学校の駐車場でこども達が遠征の荷物を部室に片付けるのを待っていたけれど、娘と選手3人がいつまでたっても戻ってこない。スマホに連絡を入れてみても既読すらつかない。しびれを切らした選手のお母さんが「早くしなさいって言ってくる!」と息巻いて部室へずんずん歩いていき、軽やかな笑顔で戻ってきた。
「なんか、みんなで楽しそうに写真撮ってたわ」
「そうなの?」
「わいわい言いながら、ホント楽しそう」
「わぁ、それはいいね」
3人のうちのひとりが珍しくホームランを打ったから、記念のボールといっしょにみんなにポーズを取らせ、娘が写真を取っていたらしい。後から娘が見せてくれたのは、笑顔がはじけた選手達の無邪気な姿だった。
「でも、そろそろ おなかすいたから帰りたいわ」
「たしかにね。こども達はおなかすいてないのかなぁ? でも、もう夏が目の前だし、大会終わったら毎日いっしょにはいられなくなっちゃうから、名残おしいのかもしれないよねぇ」
「あーぁ、もう終わっちゃうのかぁ。淋しいなぁ」
「だってさ、来年の今頃にはこども達も免許取って、もう送り迎えとか必要なくなるんだよ」
「そうだよね。送り迎えの時間って、こども達と話す いい時間だったよね。思春期のこどもと話すことって、なかなかないじゃん。うたちゃんちは女の子だからいいけど、男は思春期になったら何も話さないっていうじゃん。でも、この送り迎えの時間があって、野球部っていう共通の話題があるからこそ、話せる機会があったんだと思うんだよね。そう思うと貴重な時間だったよね」
言われてみれば、試合や練習試合のある毎週末の送り迎えの時間は、娘がたっぷり話してくれるいい時間だった。
結局その夜、わたし達は駐車場で語り合いながら、1時間以上こども達を待つともなく待った。30℃を超す灼熱の日中とはうって変わり、駐車場にはぬるい風が吹いている。
二度ともどらない青春。その輝きがながい人生のほんの一瞬であることは、彼らよりもわたし達おとなの方が身にしみて解っている。その一瞬が、この先の彼らの人生のお守りになるかもしれないことも。
その一瞬のきらめきを大切にしてあげたい。
そう思ったら、いろんな考えごとがすっと軽くなった。長いあいだ立ちっぱなしで待っていることも、お腹がすいたことも、夕食をどうしようかも、明日も早起きなことも、周りのお母さんがイライラしているんじゃないかと気を遣っていたことも。
あれ? わたしはこの待ち時間に全くイライラしていない。はじめから、こども達が気が済むまで語り合うのを待とうと思っていた。
思えばいつからかずっと、そういうスタンスで見守ってきたような気がする。野球部にはいる前から、ずっと。
どうでもいいから構わずほうっておくのではなくて、選択肢をいっしょに確認しながら、こども達の選択を待つというスタンスで。
とても些細だけれど、もしかしたらそういうことかもしれない。愛って。
ちゃんと愛せていないというコンプレックスをずっと抱いてきたけれど、もしかしたら、自分の愛にふたをしていただけなのかな。見えてなかっただけなのかも。
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昨年の夏、地方大会で優勝を決めたあと、他県の球場から自分の車でもどったわたしは、選手とともにバスでもどってきた娘と学校で合流した。今までに何度となくくり返してきた試合後の帰り道。
いつものように娘の話は止まらない。試合中の選手の動きや、後輩の心身の成長、宿舎でのトランプ大会に、いつの間にか増えた選手の彼女たちの健気な愛らしさ・・・。
「おなかすいた。なんか食べよ」
「いいけど、夕飯どうする?」
「途中で何か買って家で夕飯がいいな。でも、今なんか食べたい」
「じゃあ、いつものとこでいい?」
「うん。果実氷いちごにしよかな」
高3の夏までは、毎週土日の練習試合の帰り道にいつも同じミニストップで果実氷いちごを食べるのが、わたし達の習慣だった。
透明なカップには、凍ったいちごのスライスがたっぷり。そのうえにミニストップのバニラソフトクリーム。シャリシャリしたいちごは冷たくて、きゅっと酸っぱい。その酸味をとろけるバニラの香りと甘みが覆っていて、この絶妙なバランスが大好きだった。肌寒い春の日も、暑さでTシャツに塩を吹く夏の日も、快勝にこころ踊る日も、惜敗になみだ浮かぶ日も、急いで夕飯の支度をしなければならない日も、わたし達はミニストップの駐車場で果実氷いちごを食べながら他愛もない話をした。
こころと身体の内側にこもった熱を甘酸っぱくもう一度味わって、ちょっとクールダウンして帰るのが心地よかったからかもしれない。
ラストミーティングから2年。感染症の世界的流行のせいで、久しぶりの試合となったその日の帰り道。
次の全国大会が実質的には最後の試合になるけれど、そのときは飛行機で行くから、試合後にこの道を通って帰るのはきっとこれが最後だとわかっていた。
黄色と青の看板が見えてきたら右車線にはいって、次の信号で曲がる。店舗から直接見えない場所に車を停めて、店にはいる。レジ上のメニュー看板を見て、娘と目が合った。
「ない?」
「練乳・・・変わったのかな?」
「えー、変わっちゃったの? もうないの?」
見慣れた商品画像なのに、名前がちがう。
『果実氷練乳いちご』
「練乳・・・どうする?」
「どうしようかな」
結局、わたしは果実氷練乳いちごを、娘はXポテトとプリンパフェを注文した。久しぶりだけど変わらない駐車場で、甘みの増した果実氷練乳いちごを食べながら、わたしはあの味を探していたような気がする。
これは感傷だな、と思った。いよいよ終わってしまう親としての伴走期間。ゴールが見えてきたから、自分から甘酸っぱくなろうとしているのかもしれない。
なんだよ、これ。娘に依存してんじゃねーよ、わたし。
助手席の娘の口からは、選手の話だけではなくて、最近の推しのバンドの話も飛び出してくる。彼女はあたらしい自分の世界を、着実に築きはじめていた。
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今ではもう電源が入らなくなった古いガラケーには、幼い娘の動画が残っている。くり返し再生した短い動画。
娘がまだ年中か年長だった頃、カーステレオから流れてきた長渕剛の「東京青春朝焼物語」に合わせて、「今日からオレ、東京の人になるぅ~! エビバディゴー!」と叫び、赤ちゃんっぽさのぬけない何ともいえない笑い声をたてる動画。
ほんとうに東京の人になってしまう日が来るだなんて、あの頃には夢にも思わなかった。
自分で進学先を選び、就職先も自分で選んで、東京へ行くと決めた娘。
地元で就職して、資金を貯めてから3年後に家を出ると決めた息子。
ワンオペ育児で毎日何をしていたのか覚えていないくらい目まぐるしかったあの頃から、わたし達はもうずいぶん遠くまで歩いてきたんだなぁ。
腰骨の両側で抱っこしたふたりを下ろして。
つないできた両手を離して。
いっしょに歩いてきたここから見送って。
行ってらっしゃい。
これからは自分の信じた道を歩いていってね。
荒波に揉まれて疲れたときは、いつでも羽根を休めに帰っておいで。
わたしはここから見守っているから。
笑顔でこども達に手を振りながら、果実氷いちごを抱いている。