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いのちのバトン -誰かのなかで生き続けるというのなら➂

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100歳の花火大会を心ゆくまで楽しんだ後も、それぞれの日常は続いていった。
祖母とは月に2〜3回のペースで、長い長いとりとめのない話をしていた。時に電話で、時に祖母の部屋でお茶を淹れてもらいながら。
私が帰るときには、相変わらずエレベーターの前まで見送りに出て、扉が閉まるまでずっと手を振ってくれていた。

 

話をしながら、あれ?何かヘンだぞ・・・ということが増えてきたのは、3年ほど前のこと。
最初は、娘と孫、孫と曾孫などの“世代”がごちゃまぜになることから始まった。
祖母の年齢は103歳。
年齢を考えたら、あたり前のことかもしれない。

その頃、祖母のベッドの脇には母の手で、B5のノートが設置された。
誰かが来ても、何かを持ってきても、祖母が忘れてしまうからだった。
来た人が、そのノートに書き込んでいく。
祖母の様子、一緒にしたこと、話したこと、時には冷蔵庫に入れたお菓子のことも。
それからは、日に日に状況が変わっていった。

 

 

祖父の命日、桜満開の墓所に、例年どおり母とふたりで祖母を連れ出した。
関節リウマチにかかる前、祖母は月命日のお参りを欠かさず、台風の日などは「明日にしようよ」と止めるのが大変なほどに、その日をたいせつにしていた。

その日、車椅子を押して坂道を上がっていくと「こわいよー。まだ私はお墓に入らないよー。置いてかないでよー!」と祖母は怖がって身をよじり、声の限りに叫んだ。
周囲を歩く人が、驚いて振り返る。
車椅子の傍らにしゃがんで、祖母の手をさすりながら「置いていかないよ。おじいちゃんにお花を供えたらすぐに戻ろうね」声をかけてなだめたけれど、不安は消えない様子だった。
そのこどものような姿を見て、何だか愛おしく思った。

そうかと思えば、祖母は部屋の誰もいない壁に向かって、いきなり「私はまだ行かないよ!」とピシャリと天国行きを断ってみたりもした。
もしも20年ぶりに祖父が迎えに来ていたのなら、しょげて拗ねてしまいそうな勢いで、思わず笑ってしまう。

 

それまで「横になって昼寝をしていたら、生活リズムが崩れるし、筋肉が落ちちゃうから、私は朝起きたら夜まで寝ないのよ」と言っていた祖母は、次第に眠る時間が増え、しまいには食事どきに起こしても起きないことも増えていった。
ずっとトイレに歩いて行っていた排泄も、おむつを使うようになった。
入居時からずっと祖母の日常を気にかけてくれていたスタッフの方々は、祖母が不安がるときは夜中でも傍らについて話を聞き、母と密に連絡を取り合って、できるかぎり祖母が安楽でいられるよう、心がけてくれていた。

平日は仕事で難しいから、休日の練習試合の合間を縫って、私は祖母の部屋に通った。
最後の3ヶ月くらいは、いつ行っても祖母は眠っていた。
声をかけると「あぁ、うた。来たのね」と答えるけれど、目は開かない。
「暑くなったね」と声をかければ「すいかが食べたいなぁ」などと答えが返ってくる。「今日のおやつはすいかだったって。食べる?」と聞いてみるけれど、そのうちまた、眠りの淵にとろとろと沈んでいってしまうことがほとんどだった。
まるで眠り姫だけれど、キスしてくれるはずの王子様は祖母が天国に追い返してしまった。
眠ってしまう祖母に時おり話しかけたり、手をさすったりしながら、2時間ほどをそこで過ごし、壁に吊るされたノートに祖母の様子や寝言を書き記して帰る。
そんな週末が続いた。

 

実家の家族のグループLINEには、妹家族や叔母や母が祖母を訪ね、話をしている様子が、動画で投稿される。
もちろん惚けてはいるのだけれど、祖母は座ってみんなと会話したり、食事をしたりしていて、それが何よりもうらやましかった。
私もみんなみたいに、おばあちゃんと話したい!
そう願った。

私が訪ねるときに限って、何時間でも眠ったまま目を開けない祖母。
不思議なくらいそれは徹底していて、ノートを読んだ叔母に「うたはしょっちゅう来るのに、起きてるおばあちゃんに会えなくて、本当にかわいそう・・・」なんて言われるほどだった。

 

 

やがて、祖母の手足は浮腫んだ。
それは、心臓や腎臓のはたらきが弱まって、水分を摂っても身体のなかを巡らせたり排出したりすることが難しくなって、旅立ちが近いことを意味する。
施設の医師と看護師と母が話し合い、“看取り”が決まった。
無理に水分を摂らせるのは苦しいだけだから、眠っていて飲めなくても点滴はしない。
本人が乾いた様子を示したら、ガーゼで口を湿らせる。

「もう、そろそろだからね。心の準備をしておいてね」

電話で母から説明を受けながら、私は何となく、でもはっきりと思った。
あれは、祖母が私にくれた“おばあちゃんを諦めるための時間”だったんだ、と。

私が会いに行くと、頑として眠ったままだった祖母。
オレンジ色に染まる部屋のなかでベッドの傍らに座り、眠り続ける祖母に、ひとりで訥々と話しかけていた私。
「やがて私は答えられなくなるから、今のうちに諦めるのよ。そうすれば、ショックは大きくならないからね」
あのとき、眠る祖母からそう伝えられていたのかもしれないと、思った。

 

旅立ちの2日前。
私はこどもが生まれたばかりの従弟や叔母と一緒に、祖母の部屋にいた。
看取りとなって1週間が過ぎ、もともと小さかった祖母の身体は、少しずつ枯れていくように浮腫みが引きはじめていて、さらに小さくなったように見える。

「おばあちゃん、みんな来てるよ。わかる? 遥くん。11人目の曾孫だよ」と叔母が遥の手を祖母の手に触れさせた。
すると、不思議なことが起きた。
それまで何の反応も示さなかった祖母は、わずかに手を動かし、遥の手をみずから握った。
「おばあちゃん、わかったのね!」
部屋に集まった私たちは沸き立ち、私は慌てて反対側に回りこんで、咄嗟にスマホで写真を撮った。
遥と写ったこの写真が、生命ある祖母の最後の写真となった。

 

※ トリミングして掲載しています

ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!