10日間の意味 - 旅立ちのキセキ《後編》-
《前編》はこちら↓
わたしが運転免許を取ってからの数年間、運転ができない祖父母は、いつも運転手にわたしを指名しました。
カーナビなんてついてなかった時代に、地図もひろげず100km。
「次は本町通りへ行ってくれ。近くにお城があるでしょ。それを目印に行けば着くから。え、見えない? 高いところに登りゃあ、見えるだろう」なんて、後部座席から雑すぎるナビゲーション。祖母とわたしを爆笑させながらのドライブは、いつもにぎやかです。
春は桜の通りぬけ、秋は紅葉ドライブ。いつも祖父は流れる景色を眺めながら、祖母とわたしの恋愛話を聞きながら、満足そうに微笑んでいました。
もう二度と祖父とことばを交わすことはできない。最後に話したのはいつだろう? 何を話したんだっけ? 思い出せません。
祖父がおなかの赤ちゃんをラット呼ばわりした、しわくちゃの笑顔だけがくり返し思い出されて、わたしは病院から家に帰る車のなか、毎晩そっと涙をぬぐいました。
引き継ぎの資料作成を終え、デスクを整理し終わったのは3月30日のこと。
その晩、寝室の電話がけたたましく鳴りました。深夜3時、母の落ちついた声が、寝ぼけた耳に祖父の危篤を伝えます。
もう、そろそろだからね。
慌てて車に乗り、病院へ向かいます。
夜中の幹線道路は誰も走っていなくて、エアコンのボォォーっという音だけが聞こえてきます。信号の緑が遠くまでぽんぽんぽんと浮かぶなかに、チカチカまたたく黄色。現実感がなくて、ふわふわする。そんな状態のまま、わたしはすっかり顔見知りになった病院の夜間通用口の警備員さんに挨拶をして、先を急ぎました。
暗い待合室を横切り、エレベーターに乗ります。10階のナースステーションはまぶしいくらい明るくて、規則正しい計測音の重なりが、シンコペーションのリズムに聞こえました。廊下は重く暗かった。
病室に入ると、祖母と両親、妹がいました。すこし遅れて叔母が到着しました。東京の伯母は、昨夜帰ったばかり。とんぼ返りしようにも新幹線が動くのは明け方で、間に合わないかもしれません。
ベッドをぐるりと囲んでみんなが集う夜中の病室を、心電図の規則正しい音が満たします。叔母は、ベッドサイドの引き出しから祖父のロザリオを取り出し、祖父の左手首にそれを通して持たせると、そっと肩まで布団をかけました。
ロザリオというのは、十字架のついた長い数珠のようなもの。聖母マリアの名前をくり返し唱えるとき、その回数を数えるのに使います。祖父のそれは あわい色の木製で、やわらかな艶がありました。
叔母はちいさな黒い表紙をひらいて、祖父に祈祷文を読み聞かせはじめました。耳は最後まで聞こえているから、と。みんな思い思いに話し始めます。
「いくら先生だからって、年度末きっちりに逝かなくてもいいのにね」
「几帳面よね。そういうとこ、おじいちゃんらしいよね」
「おとうさん、聞こえる? みんないるのよ」
「よく夜中にみんなでしゃべってて、うるさい!って言われたよね」
そのうち、誰が言い出したんだったか、おじいちゃんは歌うのが好きなんだから!と聖歌を歌い始めました。わたしも妹も、祖父母に連れられて教会に通っていたことがあるので、聖歌は歌えます。
真夜中の病室で、声をひそめた合唱が始まりました。みんな不思議と笑顔です。旅立とうとしている祖父を前に、泣くこともなく、ひっそりと歌い語らい過ごします。
そのうちに、脈はゆっくりと弱くなっていきました。
やがて祖父は、大きくひとつ息を吸い、そのまま天に召されました。
モニターの波形がまっすぐになって、医師とナースが飛び込んできました。ナースが祖父に声をかけて布団をそっとめくり、脈を取ろうとしたそのときです。
誰かが何かつぶやいて、わたしはハッと祖父の左手を見ました。
どこかスローモーションのようにおぼろげで、紗のかかったような景色のなかで、ぞわぞわと肌が粟立ったのを覚えています。
めくった布団のなかには、やさしい色の木の珠がころころと散らばっていました。
左手首に通されていたロザリオが、布団のなかの動かせない祖父の手首のうえで、切れていたのです。
それを見た瞬間、叔母が声をあげて泣き出しました。ひと粒ひとつぶ、シーツに散らばった珠を拾い、しゃくりあげながら彼女は言いました。
「おとうさん・・・おとうさん・・・ありがとうね」
そっと廊下に出て、夜明けの窓を眺めながら、わたしは思いました。
あぁ、おじいちゃんは、待ってたんだなぁって。
おじいちゃんと生きる世界を、わたし達があきらめるのを。
そのための10日間だったのかもしれないなぁって。
心配していた孫がようやく身を固めて、その晴れ姿をちゃんと目に焼きつけて祝って、わたし達にもちゃんとお別れの時間をくれて。おじいちゃんは、この世での役目をすべて終えて召されたんだなぁって。
ロザリオが切れたのは、もしかしたら聖母マリアからのメッセージだったのかもしれません。
もう、わたしの名前を唱える必要はないのです。
あなたは神のもとへ行くのですから。
朝日がのぼったあとは、連絡や準備に追われ、泣く暇もないほど忙しかったと記憶しています。
おなかのなかでは、赤ちゃんが元気に動いていました。性別が男の子だと聞かされるのは、その2週間後のこと。
1999年3月31日。
桜がまもなく満開をむかえる朝の、一歩手前の物語です。
この記事は、拝啓 あんこぼーろさんの企画 #春風怪談 に参加しています。