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「国語」と「日本語」 ~語用論からみた国語教育と日本語教育②~

言語教育の授業の流れには、大きく分けて二種類のアプローチがある。ひとつは文型ベースのアプローチであり、たとえば「~ています」や「~てください」のような学習文型の練習を繰り返すことで、正確な知識と言語運用を身につけることに主眼を置いたものである。もうひとつはタスクベースのアプローチ、すなわち「急な仕事が入ってデートの約束をキャンセルしなければならなくなった時に、相手に事情を説明して納得してもらう」とか、「携帯電話の申込カウンターで自分のニーズに合致するプランを説明してもらい契約する」など、実生活で起こりうる具体的な課題(タスク)を設定し、自らの言語能力を駆使してタスク達成に取り組み、活動後のフィードバックを通じて自身に不足しているスキルを補っていくという手法である。

前者においては反復練習に加えて、文を徐々に長くしていく拡大練習、文の一部を入れ替える代入練習、活用を繰り返す転換練習などを中心としたパターン・プラクティスが中核を占め、その応用練習としてロールプレイやペアでの会話練習などが行われる。後者ではペアやグループなどでの活動を通じて、できるだけ実際の言語使用の場面や状況に応じた言語運用が求められることになる。前者は言語表現の正確さ重視、後者は言語を含めた現実対応力重視と言ってもいいだろう。

ここで両者の優劣を論じようというのではない。どちらのアプローチも言語教育には必要だ。ただ、語用論的能力、つまり社会的・文化的・状況的文脈に応じた言語運用能力を養うためには、後者のアプローチが有効だろう。それは国語教育においても同様である。言語は単独で存在しているものではなく、文脈の中に位置づけられてこそはじめてコミュニケーションのツールとして機能する。それを体得できなければ人間関係に困難を生じるのは日本語母語話者とて同じである。むしろ、日本語を自由に操れていると思い込み、自身の語用論的日本語運用力に死角があることに気づいていない母語話者にこそ、そうした問題に目を向ける機会が必要なのではなかろうか。語用論を切り口にすると、国語教育と日本語教育の距離は一気に縮まるのである。

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