連載日本史84 鎌倉文化(2)
他力本願を旨とする浄土宗系の宗派に対し、座禅を通して自力で悟りに至る道を示したのが禅宗である。栄西の開いた臨済宗は、公案と呼ばれる禅問答を通じて思索を深め、上層の武士たちに支持を広げた。「興禅護国論」で政治における禅の効用を説いた栄西は、北条政子の後援で鎌倉に寿福寺、源頼家の後援で京に建仁寺を開き、さらに「喫茶養生記」で源実朝に茶の効用を説いた。一方、道元の開いた曹洞宗は、只管打坐(しかんたざ)、すなわちひたすら座禅を組むことで悟りに至る道を唱え、中小武士や農民たちの間に信仰を広げた。
臨済宗と曹洞宗に共通する要素として、「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉がある。経文や啓典に頼らず、自らの身体と行動を通してこそ、真の悟りが得られるとする思想である。禅宗の持つこうした側面が、武士の価値観や感覚になじんだのだろう。現代においても、アップルの創業者である故スティーブ・ジョブズを筆頭に、海外も含め、企業経営者に禅の信奉者が多いのも、それが経営にも通じるところの多い世界観であるからなのかもしれない。
曹洞宗の本山は福井の永平寺だが、禅宗と幕府の結びつきを反映してか、鎌倉には鎌倉五山と呼ばれる臨済宗の有名な寺院が集中する。また、栄西のもたらした茶は、その後、茶道へと発展し、これも武家政権と強い結びつきを持つようになる。座禅や茶の湯そのものは政治とは無関係だが、それらの持つ静的なパワーが、権力者にとって魅力あるものに感じられたのだろう。
鎌倉新仏教の台頭は、旧仏教の各宗派にも、自己変革への動きを促した。法相宗・律宗・華厳宗では、貞慶・俊艿・明恵らがそれぞれ改革を行い、戒律の復興や尊重に努めた。律宗の叡尊や忍性は、奈良西大寺や鎌倉極楽寺を再興し、貧者や病人の救済などの社会貢献を積極的に行った。ヨーロッパの宗教改革が旧教側の自己変革を促したのと同じ構図である。新たな文化の創出は、旧来の文化の否定とは限らない。むしろ旧来の文化が新たな刺激を受けて再生する契機ともなり得るのである。