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オリエント・中東史④ ~レヴァント~

現在のシリア・レバノン・パレスチナ・イスラエル地域にあたる地中海東岸地方を総称してレヴァントと呼ぶ。交易の要衝にあったこの地は、肥沃な三日月地帯と同様に、古くから諸勢力の争奪の対象となった。紀元前13世紀から12世紀にかけてアナトリア地方から船団を組んで移住した「海の民」との接触により海洋民族化したフェニキア人は、レヴァント地方を拠点として地中海交易で活躍した。アフリカやアラビアの香料・金・銀・象牙、フェニキアのガラス製品等が主な交易品であったと思われる。商業活動上の必要から彼らが作り出したフェニキア文字はアルファベットの原型となり、西方へと広がっていった。

フェニキア人は、当時のレヴァント地方に群生していた良質のレバノン杉を船材として、交易のための多くの帆船を建造した。それ以前からレバノン杉は、ヒッタイトに始まる製鉄のための燃料や文明の発達に伴う多くの建造物のために、無計画に乱伐されていたと思われる。現在では野生のレバノン杉はほとんど姿を消し、レヴァント地方のかなりの地域が砂漠化しているが、それは古代からの乱伐による森林破壊の結果なのである。人類史上、最も早い文明発祥の地である中東地域は、最も早い環境問題発祥の地でもあったのだ。

フェニキア人が海に向かったのに対し、同じくレヴァント地方を拠点とするアラム人は、現在のシリアの首都でもあるダマスクスを首都として、オリエント内陸方面の交易へと向かった。彼らはフェニキア文字の影響を受けてアラム文字を作り出し、アラム語は西アジアの共通語となった。彼らの通商活動が東方の内陸部に広がるのに伴ってアラム文字も東へと広がり、アラビア文字の母体となったのである。すなわち、現在のヨーロッパ系の文字とアラビア系の文字の双方のルーツが、この時代のレヴァントにあったということになる。

文字だけではない。現代における世界三大宗教のうちの二つ、すなわちキリスト教とイスラム教のルーツもまた、古代レヴァント地方に見ることができる。紀元前1500年頃にパレスチナに定住したヘブライ人は、飢饉に見舞われて一時エジプトへと移住するが、エジプト新王国時代のファラオの圧迫によって奴隷の扱いを受け、前13世紀に預言者モーセに率いられてエジプトを脱出し、「約束の地」とされたカナーン(パレスチナ)へと帰る。この時、紅海が二つに割れるという奇跡が起き、神(ヤハウェ)がシナイ山に降り立ってモーセに十戒を授けたという。こうして自らを神から選ばれた民と信じたヘブライ人(後のユダヤ人)たちはユダヤ教を創設し、エルサレムを首都として、カナーン(パレスチナ)の地にヘブライ王国を建設する。王国は、サウル・ダヴィデ・ソロモンの三代の王によって栄え、特にソロモン王の時代にはエルサレムに神殿を建設して「ソロモンの栄華」と呼ばれる王国の全盛期を現出した。前10世紀末にヘブライ王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂するが、選民思想を共有するユダヤ教信仰はヘブライ(ユダヤ)人の民族宗教として強固に残り、アダムとイブの創世記で知られる旧約聖書を通じて後世へと受け継がれてゆく。ちなみに、「旧約」は後のキリスト教から見た呼び方であり、ユダヤ教徒にとっては昔も今もこれが唯一の聖書である。

キリスト教とイスラム教は、いずれもユダヤ教と母胎を同じくする一神教であり、ヤハウェ、ゴッド、アラーと呼び名は変わっても、信じている神は同一である。それぞれの預言者は、モーセ、キリスト、ムハンマドと変遷し、聖典もまた、旧約聖書、新約聖書、コーランと変わっていくことになるが、信仰の根幹にある唯一神への帰依は共通している。いわばユダヤ教とキリスト教とイスラム教は同じ母から生まれた兄弟のようなものであり、互いの争いが時として激しさを増すのは近親憎悪的心情の影響もあるのではないか。現在のレヴァント世界においても、パレスチナ・イスラエル問題、シリア内戦、ISの台頭、三宗教の共通の聖地であるエルサレムの帰属問題など、宗教的背景を持った激しい争いが絶えないが、そのルーツもまた古代レヴァント世界にまで遡ることができる。逆に言えば、共通のルーツを持つ者同士が何故に和解できないのかという疑問も湧いてくるのだが、同じ母胎を持つからこそ和解が困難だというのもまた、人の世の真実なのかもしれない。

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