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バルカン半島史㉚<最終回> ~21世紀のバルカン半島~

 
2004年、スロヴェニア・ルーマニア・ブルガリアが、他の東欧諸国とともにEU(欧州連合)に加盟した。同年にはスロヴェニア、2007年にはルーマニア・ブルガリアがNATO(北大西洋条約機構)にも加盟。東西冷戦時代には西側陣営の安全保障機構として社会主義陣営と対立関係にあったNATOだが冷戦終結後は東欧諸国の相次ぐ加盟を受けて、より広域にわたる安全保障を担う軍事機構へと変質していったのだ。内戦におけるセルビア人への残虐行為を問われ、加盟が遅れていたクロアチアも、2009年にNATO、2014年にEUへの加盟を実現。アルバニア・モンテネグロ、さらに2019年には国名を巡るギリシャとの対立関係を解消した北マケドニアもNATOに加盟し、NATOの加盟国は30ヵ国、EUの加盟国は2019年の英国の脱退を勘定に入れても27ヵ国にまで及んだのである。

しかしながら、バルカン半島全域がヨーロッパと一体化したというわけではない。ユーゴ内戦の傷跡が今も色濃く残るボスニア=ヘルツェゴヴィナとセルビアは未加盟であるし、2008年にセルビアからの分離独立を宣言したコソヴォ共和国については、セルビアとロシアが承認を拒み続けている。加えて2014年のウクライナ東部紛争でロシアがクリミア半島を併合したことから、NATOとロシアの対立が再燃。歴史的にロシアと関係の深いセルビアとNATOに属する周辺諸国との関係は、またもや微妙な色を帯び始めている。

2010年から11年にかけてギリシャの財政危機問題が起こった。実は以前からギリシャの財政は危機に瀕していたのだが政府がそれを隠蔽していたのだ。政治・経済の幅広い分野に及ぶ広域連合としてのEUの性質が、ギリシャの財政危機を一国のみにとどまらない加盟国全域の問題へと拡大した。EUとIMF(国際通貨基金)はギリシャへの1100億ユーロの巨額支援を決定。その条件としてギリシャに徹底した緊縮財政を要求したのである。これに反発したギリシャ国民による総選挙で反緊縮派が勝利。EUに対する交渉に臨んだものの膨張しきった財政赤字は如何ともし難く、結局は緊縮やむなしということになった。この辺りの経緯は、巨額の財政赤字を抱える日本にとっても他人事ではあるまい。

内戦終結から20年以上を経た今も、さまざまな問題が残るバルカン半島ではあるが、バルカンが経験してきた諸問題は、日本も含め、グローバル化する世界が今後も直面し得る問題であると言えよう。そういう意味で、バルカン半島の歴史を改めて振り返り、そこから得られる教訓を共有することは、誰にとっても有意義なことであると思われるのである。

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