連載日本史㊴ 天平文化(2)
天平文化における代表的な建築・彫刻・絵画などをいくつか並べてみよう。
まず、東大寺正倉院。床下2.7mの高床式倉庫で、三角材を交互に組み上げて壁面を造る校倉造(あぜくらづくり)という手法が取り入れられている。いずれも湿度の高い日本の風土のもとで、数々の宝物(ほうもつ)を良い状態で保存するための工夫である。
正倉院に収められていた宝物には、国際色豊かなものが多い。螺鈿紫檀(らでんしだん)五弦琵琶にはラクダに乗って琵琶を弾く異国風の人物が描かれ、鳥毛立女屏風には唐風の盛装をした豊満な女性たちの姿が見える。漆胡瓶(しっこへい)はペルシア風だし、銀薫炉(ぎんくんろ)には唐の影響を受けて獅子や鳳凰や唐草文様の透かし彫りが施されている。中国・盛唐時代に、シルクロードを経て国際都市・長安に集まった多様な文物が、遣唐使を通じて日本にももたらされたのである。盛唐時代の美意識を反映してか女性像はおしなべて豊満系だ。同時代の薬師寺吉祥天像、すなわち神様の像も豊満系である。こうして見ると、神仏の姿といわれるものは、人間の姿を投影したものに過ぎないのだということが改めて実感される。
他の建築では唐招提寺金堂・講堂、東大寺法華堂など、いずれも屋根の勾配が比較的ゆるく、どっしりとした安定感がある。法隆寺の夢殿(ゆめどの)も天平時代の代表建築だが、こちらは八角形の斬新な建築様式で、やはり唐の影響を受けているようだ。夢殿の中には、飛鳥文化の代表作であり、聖徳太子の等身大像といわれる救世(ぐぜ)観音像が、本尊として安置されている。
彫刻では、東大寺法華堂の月光・日光菩薩像や執金剛神像、戒壇院の四天王像、新薬師寺の十二神将像や法隆寺五重塔初層塑像群など、衣服や筋肉や表情に写実性・迫真性のあくなき追求が見られるのが特徴である。一方、東大寺法華堂の不空羂索(ふくうけんじゃく)観音像は三目八臂(目が三つで腕が八本)、興福寺の阿修羅(あしゅら)像は三面六臂(顔が三つで腕が六本)という風に、超越的な能力を持つ神仏の姿が、異形(いぎょう)の姿をもって具現化されている。
唐招提寺の鑑真像や興福寺の十大弟子像など、実在の人物をモデルにした作品も多い。特に鑑真像は、失明した両眼を静かに閉じ、口元に微笑をたたえた慈悲深い表情の中に、数多の苦難を乗り越えて日本渡航を果たした彼の不屈の精神があらわれているようだ。
飛鳥・白鳳時代の彫刻は金銅像や木像が主流であったが、天平時代には粘土を用いた塑像や漆(うるし)を用いた乾漆像が盛行した。現在ではほとんどが剥がれ落ちてしまっているが当時はカラフルな彩色が施されていたようだ。奈良の都は文字通り、国際色豊かな仏教都市だったのである。
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