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ローマ・イタリア史㉚ ~戦後のイタリアと欧州統合~
1944年6月、連合軍によるローマ解放を受けて、ドイツ軍に対するレジスタンスの主体となった各政党の連立内閣が成立した。大戦終結後、イタリアでは王政存続か共和政移行かを問う国民投票が実施され、僅差で共和政支持が上回って王政が廃止された。開戦時にファシストを支持し、ドイツによるローマ占領時には国外に逃亡した国王は、国民の信を失っていたのだ。
二度にわたる大戦で荒廃したヨーロッパは、東西冷戦の影響を受けて東側の社会主義陣営と西側の資本主義陣営に分断された。米国主導のマーシャル・プランで経済復興への道筋をつけ、これも米国主導の軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)加盟を通じて冷戦下の国際秩序に組み込まれた西欧諸国では、相互不信による対立から大戦に至った反省を踏まえ、段階的統合へと向かう機運が高まった。まずはドイツとフランスの対立の象徴であったルール地方とザール地方の石炭や鉄鉱石などの資源を共同管理下に置く欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が1952年に発足。西ドイツ・フランス・ベネルクス三国とともにイタリアも創設に加わった。1957年にはローマ条約によって欧州経済共同体(EEC)と欧州原子力共同体(EURATOM)も発足し、イタリアを含めた6カ国は統合の中核となっていったのである。
しかし統合への道のりは平坦なものではなかった。特に大陸諸国の連携に警戒を強めた英国は反発し、1960年にEEC非加盟の7カ国で欧州自由貿易連合(EFTA)を結成。西ヨーロッパには二つの経済協力機構が競合することとなった。1967年にはECSC・EEC・EURATOMの三者が統合し欧州共同体(EC)が発足。1971年のドル・ショックに象徴される米国経済の後退もあってECの経済的優位が次第に明らかになり、EFTAはECへの統合という形で発展解消に向かう。73年には英国・アイルランド・デンマーク、80年代にはギリシャ・ポルトガル・スペインが加入。欧州議会も発足し、欧州統合は経済協力の枠を超えて新たな局面に入った。
1985年には域内のヒト・モノ・カネの自由な移動を目指す単一欧州議定書が成立。パスポート審査を廃止するシェンゲン協定も締結された。そして1992年、市場統合・通貨統合・共同安全保障の枠組みを定めたマーストリヒト条約が成立し、翌93年には欧州連合(EU)が発足。95年にはスウェーデン・フィンランド・オーストリアも加盟し、さらに2002年には15カ国中12カ国が自国通貨を廃止して共通通貨であるユーロへと移行したのである。
欧州統合への歩みにおいて、イタリアは常に原加盟6カ国の一員として中心的役割を果たした。そこにはやはり、無意識下に刻印されたローマ帝国の歴史的記憶があったのではないか。かつてヨーロッパはひとつだった。2000年の時を経たロールモデルの存在が、統合への困難な道のりを支え続けたのではないかと思うのだ。