SOUL DIET/シン・断捨離伝説
いやー今週も笑ったキングオージャー。
さて。
ダイエットやトレーニングというのはやはり関心が高いものだと思う。
スポーツや仕事でのパフォーマンス向上。健康面の改良。ルックスや高感度UPのため。
今回は先日上げたダイエット記事の補足というか、延長線上のことを書きます。
水宮的究極の『ダイエット』と『断捨離』噺、はじまり〜。
ガマンを一切せず、妙なサプリも行為もなしに健康・理想体型を維持してると言うと、
「そんなのムリ❗️」と思われる向きもあるだろう。
気がついたらこうなってたのだ。
その理由や方法を考えたら、あることに思い当たる。
摂食障害を始め山盛りの精神疾患とてんこ盛りのトラブル人生で、苦しい、死ぬ。
ある時気づいた。「私がこの人生というバイキングの皿を見苦しくメガ盛りにしてるだけじゃないの」。
あらゆる断捨離が必要だ。
物質、他者からの承認。
だがそもそも、その根本にある甘えた我欲や執着。
これがいわゆる「ソウルのがん細胞」らしい。
こいつの断捨離が出来るのなら、心の苦痛は終わる。苦しすぎてもうせざるを得なかった。
実際のがんやほかの疾患になって死んでも驚きはしない。だが、魂が苦悶したまま途中で「ハイ今生終わり〜時間切れ〜」って死ぬことになったら妄念のカタマリになって幽霊になりそ。迷惑。情けない。カッコ悪い。
絶対、イヤ‼️
しっかりしろ、水音‼️
そこでしたのは、
「もう好きなことしかしない。物も好きなものだけ手元に置く。好きな奴としか関わらない。体が欲しいもんしか口にしない。好きな情報以外基本スルー」。
っていうソウルの断捨離だった。
ふるいにかけにかけ、残ったものはあまりに少なかった。
私は躊躇なくイェーイとそれを選択した。
その中には食べたい・飲みたい物のリストもあった。
基本何でも食べるしルールはない。寝る6時間前までに食べ終えるとか、脂ものはダメとかもない。酒タバコも好きなだけ。
と言うと放埒に聞こえるかもだが、実際のところ「少な過ぎない?」と心配されるほどの量。歳なんだよこちとら。そしてものを、作ってくれた人たちや運んで、売ってくれた人たち、その食べ物となった生物にまで思いを馳せてジーンと味わうと、すぐおなかも心も満ち足りる。その生物は殺されたのじゃない。私の中に入って、もう一度いっしょに生きてくれるのだ。
嗜好品は、ガマンした方がイライラする。ソウルの平安を考えたら普通に嗜む方がずっといい。何がなんでもダメというような了見の狭いロッテンマイヤー女史のような人とはそもそも付き合わないし、接点もない。
好きなもの、好きなこと。選択肢は多くない。そんなお花で日常をうずめることも容易。
あー、サイコー。
ソウルにとって嫌なことを徹底排除した。その際はヒトであろうが情け容赦もない。傷つけるのじゃなく離れるのだ。始めは苦しいが、のちにそのほとんどは執着だったと気づく。
そのうち周りは気持ちのいい連中だけになった。こっちも数少ない大切な人たちには嫌な思いをさせたくない。自然と自身も嫌なことから距離ができていく。あらまあいつの間に、心の抗菌コート、完了。
宝ものが少なければこそ、まがいものは「ん?これ、違う」とすぐ分かるのだ。世間一般の物差しではなく私の絶対価値。そこにはまらぬものは、入って来れない。
綺麗な体になりたいと長年切望していたが、一連の断捨離中は気にもしなかった。が、いつの間にかそうなっていた。
それに、ACE IN THE HOLE(最後の切り札)は心の手の内にちゃんととってある。
この体、考えさえもやがては変わり、死んで焼かれると知ってること。
老いも痛みも死も、素晴らしいプレゼントになるということ。その箱を開けてちゃんと使えばね。
それが恐い人は養老孟司さんの『死の壁』など読むとスッキリするかも?
軽くあるべきは、私には体重よりソウルだ。軽いとチャラいは違うわよ?
羽根のように軽く、どこへでも行けるほど自由。愛するひとも幸せで自由であって欲しいから、執着する必要さえもうない。ただお互いが望むあいだは、共にいられる。少なくとも、今生。