てぃくる 517 夜目遠目笠の内
遠目に美しい満開のハクモクレン。
ですが、アップで見ると花弁のあちこちに染みがあります。すでに、盛りを少し過ぎていたようです。
それでも遠目に眺めている時には、わずかに花弁を汚す染みには気が付きません。見ているわたしたちの意識が、一斉に開花して春の到来を祝うエネルギーに向くからでしょう。
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よほどのひねくれ者でない限り、自他の評価はまず長所からしようとするんじゃないでしょうか。自分のいいところ、相手のいいところ、適用しうる最良の評価をまず当てはめ、そこから減点法で適正だと思う位置まで下げていく。多くの方が、無意識にそういう情報整理をしているように思います。
ところが一旦その方法で大きな失敗をしでかすと、今度は長所に一切目を遣らず、ネガティブな部分だけを数え上げて評価しようとすることも多いんです。
先ほどのハクモクレンを例にすれば、ぱっと見の艶やかさを「きれいねえ」とそのまま評価するのが普通じゃないかと。
でも、「花なんざ、よく見りゃ染みだらけさ。すぐに汚く萎れて散るし」と斜に構え、アップで見た時に現れる褐色の染みを指摘して勝ち誇る人もいるわけです。ほら見たことか、しょせん真実なんかこの程度のものなんだよ、と。
夜目遠目笠の内。見えない部分にはアラばかりさ。美化して期待する方がおかしい。まあね。実際にそういうことがたくさんあるでしょう。しかし、美醜や価値の判断を小さな枠に押し込めれば、自分の中にいつまでも残る感情が否定ばかりになってしまいます。
何もかもネガに見て共感できず、敵意や嫌悪をむき出しにするから誰にも共感してもらえず、忌み嫌われることを他者の無理解のせいにする。わたしにとっては、そういう態度こそが花弁に最初からこびりついている汚い染みに見えてしまうんです。
まあ。それを一々指摘しても始まりませんので、笑って蓋をすることにしています。
「汚い? ああ、確かにそうかもね」
誰が(何が)とは、あえて申しません。それは野暮ってもんでしょうから。
(2019-03-23)