てぃくる 275 美醜と味
美醜と味との間には関連性がない。どんなに美しく見える料理でも、蝋やプラスチックで出来ていればその味しかしないのだ。
「ああ、おまえ、見本を気ぃ付かんとかじったんか。しょうもな。どんだけ意地汚いんや」
こほん。
もちろん見目が麗しい上に味が特上であれば、それにこしたことはない。だが、実際は見た目が醜悪であっても美味い、もしくは見た目がとびきり美しいのに不味いということがざらにある。
「見た目なんかどうでもよろし。そんなん言うとったら、かあちゃんの料理はそもそも食えへん。見た目は豚の餌やからな」
おいおい。まあいい。
味というのは表面的な特徴に過ぎない。それがどんなに美味であっても、猛毒を内包していることがあるからだ。河豚を例に出すまでもなかろう。醜い魚の美味い肉。しかし各所に毒が仕込まれている。美味探求の代償に命を懸ける愚か者のなんと多いことか。
「正直に銭こない言うたらいいやん。毒食らう前に皿買う銭こもないんやろ?」
く……。
とにかく。美しいことと美味いことには相関関係がない。醜いものを美しく見せることは出来るが、不味いものを美味くすることは出来ない。不味いものは、それがどんな見かけであっても不味い。それ以外の意味はないのだ。
「あんた、それ食うたんやろ? 美味そうや思て。あほか」
ノブドウのカラフルな実。
ヤマブドウやエビヅルの実に比べると長く残っていますので、運び屋の鳥たちにとっても決して美味しくはないんでしょう。
もちろん、わたしたちが食べても美味しくありません。
残念ですが、箸にも棒にもかからない味です。
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やっぱり食ってる、ど阿呆。
(2016-12-07)