「相手の立場に立って考える」は限界がある説

日頃、人が生きていく中で「相手の立場になって考える」ことは仕事でもプライベートでも重要とされている。

もちろん、私自身大切だと思う。
世の中自分を中心に回っているわけではないから、自分勝手に生きるのも違うし、法のもとに生きる義務はある。

しかしそういう、硬いことを置いておいて、私には「一生相手の立場に立って考えられない」ことがある。

限界があると思っている。

理由は至ってシンプルで、「自分は相手(他人)と同じ人間ではない」からだ。

自分以外の人(=他人)は自分と価値観や考え方、その他何もかもが違うからだ。
とにかく物差しが違う。

ちなみに、限界がある、と決め付けたい裏には、傷つきたくない、裏切られたくない、という思いがある。

自尊心が低い故かもしれないが、いろんな自分にとって嬉しい言葉を投げかけてくれる友人や後輩がいたり、思わせぶり?信じてもいいのか?というような言葉を時折送ってくる元彼がいる。

シンプルに受け取れば、というか「相手の立場に立って考え」れば、嬉しいことだし幸せを感じる。

とくに元彼。
ちなみに彼とはかなりの腐れ縁だ。
他にも元彼という人はいるが、この彼だけはいろいろあり、特別だ。

それを念頭に置いた上で読んでいただきたいのだが、昨日久しぶりに彼の近況が気になり、何気ないLINEをしたところ、予想外の返信をしてきた。

…どういうことか。
嬉しい反面、私は考えてみた。
そう、「相手の立場になって考える」。
私が彼の立場ならその発言はどういう思いでするのか。

…分からなかった。
もちろん、嬉しいのは思わせぶりというか、今でも特別に思ってくれているような発言。
あー、私のことを今でも考えるときがあるんだなと。

私が彼ならば、そう発言するのは、あなたのことを考えていたんだよ、と伝えたいから。

だけど彼は私と真逆の性格。思ったことを発言するわけではないし、ポーカーフェイスだし、相手をその気にさせることも元来得意な人間。
じゃあわざと言ってるのか?

確かに、彼はその気がなくてもその気にさせてしまう気質があるから、自然と意識せずにそんなことが言えてしまうのか?

とにかく、私と彼は特に性格が真逆すぎるので、相手の立場に立って考えようとも限界があるのだった。


総じて、相手の本心を知ることは難しい。

「相手の立場に立って考える」ことには時に限界がある。

それならばいっそ、脳は洗脳させられるのだから、自分の都合の良いように考えたほうが幸せなのかもしれない。

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