まみむめも(25)

25歳会社員女性。一生懸命生きてます。マッチングアプリ体験記や、リアルな繋がりを持つ人…

まみむめも(25)

25歳会社員女性。一生懸命生きてます。マッチングアプリ体験記や、リアルな繋がりを持つ人には言えない、日々感じたこと、考えたことをぼやきます。「スキ」やフォローが源です。

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  • 恋愛コラム(主にセフレ)

    恋愛から考えたこと、セフレとの過去話など

  • マッチングアプリ

    23歳OLがマッチングアプリに出会ってからの話と、私なりのマッチングアプリとの付き合い方をつづります

最近の記事

セフレのハナシ(多分完、ではなかった)

私の過去の記事の中で最もビューが多いのはセフレの話だ。 例のセフレの記事はこちら スキは他と比べて少ないし(どちらにしても他も少ないのでどんぐりの背比べ)、SEOの順位も悪いが(どう考えてもGoogleのアルゴリズムに従っていない)、 やはりセフレというものに関心のある人が多いんだなと思う。 恋愛体質というか、なんなのか、拗らせている人が多いんじゃないかと思う。 私はセフレという関係の人からは足を洗ったのだが、その関係にあった人の話を今日はしたいと思う。 殴り書き状

    • 一人暮らし3年記念日

      今日で一人暮らし開始から3年経ったらしい。 インスタのが教えてくれた(ストーリーアーカイブの3年前の今日というやつ)。 ベッドに座って撮った写真と共に「今日からシティーガール」という一文。 地方育ち、大学まで実家暮らしだった私は、初めて自由で自分だけの城を持ったような感覚だった。 大学時代、「セフレ」の家に頻繁に泊まり、実家に帰らない夜があった私は、何度か一人暮らしを考えたが、 結局、定期代<家賃だったので諦めざるをえなかった。 ついに念願の城が決まってからは、ベッド

      • 超現実主義なのに占い好きという矛盾

        私は超現実主義だと、新卒で入った会社の人事の人に言われて気づいた。 どうやら謎にありえない想像をしてしまう性格だし、ロマンチックなことも好きなタチなので(なんか恥ずかしい)、自分のことを現実主義者だと思っていなかったのだが、 ディズニーで夢の空間を楽しめなかったり、ファンタジーを受け入れられなかったりする。 ミッキーは着ぐるみじゃん、とか、ファンタジーはその話の設定自体の理解をしようとしてしまい、溶け込めない。(反感を買うが、もっとも、そういうものが好きな人のことを否定して

        • 25歳OLの悩み

          とにかく人生が不安だった。 平日は仕事を粛々とこなし、土日は何をするわけでもなく、この淡々と過ぎていく日々にも飽き飽きしていた。 直近での楽しみも特になく、この先も明るい未来なんてない、ととにかくネガティブだった。 「今この瞬間」を楽しめなかった。 20歳、成人式で書いた一言は、「今を生きる」だったのに と、皮肉にも思い出した。 本当は、未来なんか何が起こるかわからないのだから悲観すべきではないし、今を楽しむべきだ。 それは十分にわかっている。 わかっていても、そうは

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          気がつけば23歳OLから、25歳OLになっていた話

          気付いたら、最後の投稿から2年が経っていた。 23歳OLは、25歳OLになってしまった。 何もなかったわけではない。 コロナは2022年まで終息しないと当時言われていた。 そんな時まで続くのかよ、と思っていた。 実際、ワクチンは本当にできて、経口薬までできたが、変異し続けて未だに終息はしていない。 意外と2年経つのは早かった。 何もなかったどころか、この2年、私にとっては激動だった。 少なくともこれまでの人生で一番悩み、刺激的だったと言っても過言ではない。 まずは

          気がつけば23歳OLから、25歳OLになっていた話

          お酒ではごまかせない感情

          寂しさや虚しさ、そういったものはよく、お酒でごまかしたりする。 あとは日記に今の気持ちをひたすらぶちまけたりとか。 ある程度、そして一時的にはすっきりするものの、持続はしないものだ。 かと言って、身近な人に相談もしにくい。 あー、最近頻発している自死を選んでしまった芸能人も、似た感情を持っているのかもしれないな、とふと思ってしまう。 そんな程度の悩みじゃないのかもしれないけど。 でも、他人に死にたい、と言う人ばっかりじゃないと思う。 「なんで?なんであの人が。悩みは

          お酒ではごまかせない感情

          親・祖父母孝行心と、周囲の環境と、誰が為の人生論の鬩ぎ合い

          両親や祖父母と離れて暮らすようになり、親孝行心が芽生えた。 正直、そこまで日頃感謝することはなかったが、今ではものすごく感謝の気持ちが強くなった。 何でもやりたいことはやらせてくれる、寛大な心とそれに費やすお金を生み出してくれた。 働くようになってはじめて、稼ぐことの大変さを知った。 今度は私が、という思いが湧き、帰省する際は友達と遊ぶだけではなくて、必ず家族とご飯を食べる時間を作っている。 その度に、私のおばあちゃんとはとても呼べないくらい、いつまでも派手で元気な祖

          親・祖父母孝行心と、周囲の環境と、誰が為の人生論の鬩ぎ合い

          身近な人間に向けての裏アカと、不特定多数に向けての「裏アカ」

          私は、肩書きと年齢以外は素性を隠している。 別に有名人でもなく、ただの一般ピープルだが。 私は、私としてしょうもないぼやきや、ふと考えたことを投稿するのはとんでもなく恥ずかしいと思ってしまう。 それに、誰得感が半端ないのだ。 見ず知らずの不特定多数の人に向けて発信した方が気楽なのだ。 なぜかって、生身の私を知らないから。 そして、きっと、少しでも共感してくれる人や、気になる人しか見ないから。 フォロワーがほぼ9割知り合いのSNSでは、こんなぼやきを言えない。 だ

          身近な人間に向けての裏アカと、不特定多数に向けての「裏アカ」

          「週末」の価値の過大評価

          週末がやってきた。 待ちに待った。 …とはいうものの、とくに予定はない。 しかも、週末やることがなくてむしろ困るくらいだ。 だけど働いている時は、早く金曜の夜になってほしい、と常に思っている。 結局何をしてる時が一番楽しいのだろう。 何を求めて、私は日々過ごしているのだろう。 「待ちに待った」金曜の夜がやってきた。 金曜はいつも、夜は何を食べよう、とずっと考えている。 だけどいざ、夜がやってくると、とくに食べたいものもないし、テレワークなせいで大してお腹は減らな

          「週末」の価値の過大評価

          素の自分が複数ある話

          私には複数「素の自分」がある。 そのせいでもはや、どれが本当の自分なのかがわからない。 もしかしたら全部なのかもしれないし、素だと思っているけど実は素じゃないのかもしれなかったりする。 コミュニティによって、私という印象はかなり違うと自覚もしている。 あるところでは強気な女、あるところでは明るくて怒ったりしない優しい女、あるところではどこか達観してて声の低い女、あるところではいじられキャラでなめられがちな女、 などなど……。 強気となめられるなんて正反対だ。 とに

          素の自分が複数ある話

          隣の青い芝生を一生探す話

          子供ができた瞬間から、友達と写っていた写真から、子供の成長を写す動画、写真に変わる。 彼氏、彼女ができた瞬間から、彼氏欲しいね〜〜ってぼやきながら友達と飲む動画から、匂わせ投稿を始め、やがて勢いで記念日などにツーショットを載せる。 そんな投稿ばかりを毎日流し見している。 私は残念ながらよく出来た人間ではないので、それを見ている時の顔はだいぶ悲惨だと思う。 じゃあ見なくてよくね、と何百回も思ったけど、 結局見てしまう。 比較的他人に興味ないというか、他人に干渉すること

          隣の青い芝生を一生探す話

          厳しさと、虚しさと、悲しさと

          私は、他人にも自分にも、少々厳しすぎるところがある。 それは、時間を守るということと、約束を守るということ。 つまり、時間に遅れてくる奴も、ドタキャンする奴も許せないのだ。 要は、他人の時間を奪う・狂わせる奴が許せない。 まず時間に遅れてくる奴。 直前になって、「ごめん、ちょっと遅れる…」とかいう奴。 いや、意地でも間に合わせろよ、と思う。 何が原因で遅れるのかは謎だが、正直身支度が間に合わないならば、多少髪がボサボサだろうが化粧が雑だろうが、とにかく時間内に来て

          厳しさと、虚しさと、悲しさと

          私が「暇」と言い続ける理由

          めちゃくちゃどうでもいいのだが、私はいつだって「暇」だ。 私の周りの人は、あいつどうせ暇だ、と思っている。 いつだって暇な女、という認知をされている。 この字面だけ見ると、たいして頑張ってないやつみたいだ。 あながち間違いではないのかもしれないが。 でも思う。 暇って悪いことか? たしかに前の投稿で暇は地獄と言った。 本当の暇は地獄だし、多分多くの人は暇なことはネガティブな状況と捉えるだろう。 時間的余裕がある、なんてポジティブには捉えられない。

          私が「暇」と言い続ける理由

          withコロナ体験記~オンラインとオフラインの決定的違い~

          先日、1都3県、北海道もついに緊急事態宣言が解除された。 2か月間、電車にすら乗っていなかった私。 ついに明日から週2、3で出社することになった。 居酒屋や百貨店、その他のお店なども徐々に営業を再開し、模索しながら日常生活に戻りつつある空気を感じている。 3月下旬の三連休以降、不要不急の外出は自粛していた。 そのため、週末の楽しみであった友人や親しい人とオフラインでの飲み会は一切なくなった。 ついに昨日、2カ月ぶりに友人と二人でお店で飲んだ。 暑くなってきたから

          withコロナ体験記~オンラインとオフラインの決定的違い~

          「相手の立場に立って考える」は限界がある説

          日頃、人が生きていく中で「相手の立場になって考える」ことは仕事でもプライベートでも重要とされている。 もちろん、私自身大切だと思う。 世の中自分を中心に回っているわけではないから、自分勝手に生きるのも違うし、法のもとに生きる義務はある。 しかしそういう、硬いことを置いておいて、私には「一生相手の立場に立って考えられない」ことがある。 限界があると思っている。 理由は至ってシンプルで、「自分は相手(他人)と同じ人間ではない」からだ。 自分以外の人(=他人)は自分と価値

          「相手の立場に立って考える」は限界がある説

          暇という地獄

          しばらく更新が空いてしまった。 マッチングアプリについて連載すると言っておきながら、ある日から投稿できなくなってしまった。 理由は忙しかったからではなく、逆に暇すぎて何もできなくなってしまったのだ。 言い訳でしかないが、時間ができすぎてしまうと何でもできるはずなのに、だからこそ何もせず時間を過ごしてしまう。 そして、ただぐるぐると、解決もしない事ばかり考え続けるのだ。 自分の哲学的なことを。 大袈裟かもしれないが、ローマ時代の哲学者や、ルネサンス期や平安時代ときっ

          暇という地獄