クリエイティビティはいつ発揮させてもいい

クリエイティビティはいつ発揮させてもいい。今からでも、明日からでもいい。疲れているならゆっくり休んで来週からでもいい。忙しいなら来月からでもいい。生活や仕事、心の中で、嵐が吹き荒れ続けているのならば、雨風が落ち着くその瞬間を待てばいい。それが年明けでも、数年後でもいい。ただ、疲れていても、忙しくても発揮したくてたまらないのなら今からでもいい。今あなたが30代でも、40代でも50代でも、もっと上の年代でもいい。あなたが今学生だとしてもいい。子供だったとしてもいい。今死にゆく誰か、もしくはすでに死んでしまった誰かにも、この言葉を捧げたい。クリエイティビティは、いつ発揮させてもいい。

どうしようもない孤独に苛まれているときでも、家族の時間と仕事の両立に明け暮れているときでもいい。1日のうち、1時間、1分、1秒だけでもいい。コンマ1秒たりとも時間が使えないとしても、この事を覚えているだけでもいい。クリエイティビティは、いつ発揮させてもいい。

何者かになりたかったはずの自分のプライドはすでに資本家たちが製造した既製品に置き換えられていて、目の奥の炎は、いくら燃やしても明日には消えてしまう。そして、定型的で、衝動的な自分には資格がないと思い、いつしかクリエイティビティを発揮することを止めてしまう。人生の半ばでは、必ずといっていいほどそういったことが起こる。クリエイティビティを手放してラクになれるのなら、それは否定はしない。それでもいざという時に戻ってきて、クリエイティビティを発揮することは恐れないでほしい。一度は衝動を手放し、自由を手に入れたあなたが、再び手のつけられない猛獣になることを、私は歓迎したい。今までの自分とこれからの自分、その同一性を担保しようとすることにこだわる必要はない。世界はそもそも、本当のあなたなんて知る由もない。

その瞬間は、いつかきっとやってくる。あなたにしかできないやり方で、あなたしか知らない何かを見せつける時がきっと来る。それは突然訪れるし、人生の局面とは全く関係のない瞬間にやってくる。その瞬間は、聞き耳を立てないと気づかない。自らの感覚を研ぎ澄ませて、創造性に集中することでしか、そのシグナルは聞こえてこない。始まりの合図は、勘違いでもいい。もはや聞こえてこなくてもいい。あなたの人生の中に、それを内包する世界のどこかに、1秒、1ミリ、1グラムだけでもあなたのクリエイティビティが傷跡を残すのであれば、それだけでいい。


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