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育児の孤独だった頃
たまに家族で行く、少し遠くて近い公園
昨日長女はテスト勉強という名のおうちひとり時間満喫
バレーボール持って次女と夫はサイクリングコース
大人チャリ1台しかないので私はあとから合流ひとりお散歩
広い公園
いつも家族では行かない場所をひとりで歩く
長女妊娠中にも行き
長女が生まれてからはよく2人で行った
それ以来だろうか
あの頃
緑がキラキラして
お池の水もキラキラして
娘はニコニコして
風がそよそよ心地良くて
目に入るのは美しいものばかり
穏やかな時間は
とても
幸福で
とても
孤独だった
と
少々感傷的な気持ちになり思うのは
子供が2人になりバタバタと毎日が過ぎ
ちょっと落ち着くまでは育児に一生懸命で
ちょっと落ち着いてからは育児も自分のやりたい事もやり続け
あの頃感じていた
「 社会から切り離された様な孤独感 」
というものをすっかり忘れていたということ
経済的困難さと第一子のグレーゾーン育児
ということが大きかったかもしれない
多くの意味で身動きが取れず
対社会という部分で
強く孤独を感じていた
人本来の孤独とは異なる類いのもの
日々ちいさな幸せを感じながらの葛藤
その後
想像もしていなかった様なことが色々あり続けたおかげで
元々図太かった精神が益々鍛えられ
今となってはあの頃が懐かしく
何かと健気に頑張っていた自分の頭を
よく頑張っているねと撫でてあげたい気持ちである
とはいえその孤独感さえも
心のどこかでは面白がっていたようにも思える
育児は一生続くわけでなし
生活の困難はいざとなれば自分でどうにかすればいいという腹づもりでいた
結局センチメンタルな自分を楽しんでいた部分があり
それを薄々感じていたから
日々の小さな幸せを幸せと感じ
美しいものを美しいと思える心に変わりはなかったのだろう
自分の中にある何かに気づくか気づかないかで
生きやすくなったり
生きにくくなったり
人は面白い