道徳教育 2 白黒 明暗
昨日の投稿に頂いたインスタ、FB、noteコメントからのキーワード複数
歴史修正主義、戦前回帰思考、日本会議、安倍政権、公務員教育、どう見られるかの教育
一人でいること、自分と対話すること など
いつの時代にも学校教育に政治的意向は反映されるものだと思う
そしてそれに伴う国の価値観の強要は怖い
私が気になるのは
大多数の考えを良しとし少数の考えには目を向けない
という点である
多数決の話をしているわけではない
少数派の考えもあるよね
多数派の考えもあるよね
そのスタンスが当たり前にできてこそ
文科省のいう「道徳教育」の
生命を大切にする心や他人を思いやる心,善悪の判断などの規範意識等の道徳性を身に付ける
という所に向かっていけるのではないだろうか
ま、これは建前にすぎないかもしれないが
もちろん子供に善悪の判断は早いうちから明確に教えねばならない
他人を思いやる心については、いくら言い聞かせたところで自分が思いやりをもって接っせられていると実感できなければ育まれ難いだろう
学校の道徳教育において、はたして少数派にもそれができているのかどうか
それが昨日の疑問の出発点である
昨日の話に出した「子供の明るさ」に関していえば
明るいのが良しとされる理由のひとつは
付き合う側が楽というのも大きいだろう
評価する側都合という事である
明るく元気で良い子
先生も親もその方が楽だからそれを求めるのだろう
それはいいこと、そうなりなさいと
もちろんそればかりではなく実際良いことであるし
元々明るい子はそれだけで生きやすいかもしれない
ただ、反対に元々そうでない子はどう感じるのだろうか
私はそういう所が気になるのである
この人は白が好きな人。あの人は黒が好きな人。
というのと同じ位の捉え方で
この人は明るい人。あの人は暗い人。
という程度に捉えたならば
生きやすくなる人は多いのかもしれないと思う
白が好きなのは良いこと黒が好きなのは良くないこと、とはならないのと同じで
いやしかし
少しズレるが
赤は女の子、青は男の子
しっかり叩き込まれている人は身近に沢山いる
道徳教育は
黒が好きな人もいる白が好きな人もいる
明るい人もいる暗い人もいる
そこでそれぞれが感じたことをスタートにして、考える力を養っていくためのものではないのだろうか
あえてそれができない人間にするための一方向的な教育、授業であっては欲しくない
昨日の話の先生お二方の様に、同じ学校でも
全く異なる伝え方があり、難しいことだとは思う
家庭において
親も子もそれぞれ自分の考えを伝え合う事はとても大切だけれど
我が子に価値観を押し付けることはしたくないと思う
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