
ミヒャエル・エンデ『モモ』読了
時間泥棒と戦う少女モモの冒険譚。
子供には本来羽根が生えていて、空を自由に飛ぶことができたのだ。でも大人は、自分たちと違うからといって、その羽根を切り取ってしまう。
昔から家にある古いタンスの一番下の引き出しを初めて開いてみた。そこには私の羽根が仕舞ってあった。私はその羽根を背中にくっつけて、空を飛ぼうとした。でも理屈という贅肉がつきすぎていて、空を飛ぶことが出来なかった。だから代わりに、私は『モモ』を読んだ。
児童文学は子供への教訓になってはいけない。大人への教訓でなければならない。
「遊んでばかりいないで、勉強しなさい。あなたの将来のためだよ。」これは灰色の男の言葉だ。「一番大切なものはお金だ。コスパだ。だから1分、1秒をいかに高く売るかを考えるべきだ。」これも灰色の男の言葉だ。子供は信じないが、大人は信じてしまう。大人は羽根を切り取られる前の、空を飛べたひとときをもう一度思い出してみるべきだ。
<左目で見た、ミヒャエル・エンデ『モモ』の世界>
時間泥棒と戦う少女モモの冒険譚を子供の左目と大人の右目を使って読んでみた。
まずは左目から。
左目は右脳に繋がっている。右脳は空想や直感が得意だ。
子供には口先だけの論理など信じない。子供が信じるのは直感だけだ。「灰色の男」はそれを知らないから言葉や物で理解させようとする。
その点、カメは行動で示す。言葉もほとんど使わない。モモはカメを信じて進む。直感が意外と当たることを大人は忘れてしまった。
勧善懲悪、めでたしめでたしで終わる物語。でも、心の中に留めておかなければ、大人になったとき、「灰色の男」になってしまうだろう。
<右目で見た、ミヒャエル・エンデ『モモ』の世界>
次は右目(左脳)から。
左脳は言語、計算、理論など論理的、概念的な思考を行う。つまりは時間やお金の計算に使われる。右目は左脳に繋がっている。
もしもタイムマシーンが出来たとしたら、現代人は過去に遡って時間を盗みに行くのではないか。純粋さをとうに失い、それでも真っ黒にはまだ染まっていない「灰色の男」として。
今だって、子どもは時間を奪われている。親との大切な時間は、金を稼がなければ生きていけないという理由によってどんどん消えていく。生きるためには仕方ないと諦めている。政治を変えよう、権力者と戦おうとする気力もなく、諦めている。
「灰色の男」だって権力者から時間を奪われて町を彷徨っている犠牲者なのだ。時間がないが口癖になっている人は注意するがいい。既に体が灰色になりかけているかもしれないから。