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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『恐怖の傍聴席』

今回、著者はオウム真理教の松本智津夫被告の裁判を傍聴する。

裁判の厳粛な雰囲気に居心地の悪さを感じ、「ああ、なんだか場違いなところに来てしまったなあ」と後悔する。

証人尋問にサリン製造に関わった遠藤被告が証言するが、質問と答えが噛み合わない。教団内の会話には主語がない。尊師の言葉は絶対で、その内容について考えることさえ許されない世界。それが裁判所の形式的な言葉と通じ合うことは不可能なのだろう。「そもそも同じ世界に住むつもりがない人たち」だから。

松本智津夫被告も自分の裁判にはまったく興味を示さず、自分の世界に閉じこもっている。著者は「幽体離脱」と表現している。「辛いとき、人は自分でなくなることが一番楽なのだ。」

しかし、自分でなくなることは難しい。どうしても自我を消すことはできない。それが修業の一種なのかもしれないが、修業の成果が無差別大量殺人ではあまりにもおぞましく、あまりにも悲しすぎる。

ハルマゲドンを主張する宗教は、必ず現在の世界と対峙せざるを得ない。それを考えると、オウム真理教の教えの結末は初めから見えていたのかもしれない。

何事にも積極的で、「度胸はいいほう」であるはずの著者が、緊張のあまり翌日に神経性の胃炎になってしまうくらいストレスを感じたと言う。裁判所の堅苦しい雰囲気、自由もなく傍聴席に閉じ込められるという体験、特に日本中を騒がせた異様な殺人事件の裁判であることなどが原因なのだろうが、著者の意外性に触れたようで、新しい田口ランディを知ることができた。

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