田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『森のカケラから神様を見つける』
このエッセイで著者は、屋久島と神社と自然について語っている。
屋久島を毎年訪れていた著者は、屋久島自体を神社だと感じ、神社巡りを始める。
神社には森があり、御神木があり、鳥や虫たちがいる。そして、神様もいる。太古の人は自然に神様を見出し、敬い、奉った。
屋久島に行って、著者は「世界はめまいがするほど大きくて、自然と対峙すると情け無いほど小さな自分がいた。けれど、それはけっして屈辱じゃなかった」と思い、「ちっぽけで無力な自分として、ぽつんと存在することに、なぜか安心しちゃった」と感じる。
それまでの著者は、「人間を通してしか世界を見られ」ず、「だから私の見ていた世界はとても感情的だった。人間の感情の振幅が世界の振幅だったので、世界そのものがヒステリックだった。」「世界はイコール人間社会で、人間社会のなかで他人の目ばかり気にしていた。絶えず他人とせめぎあっているのが私の世界で、楽しいけれど、時としてとても窮屈だった。」
自己主張が苦手だった私も、自分を変えるために、著者と同じように「もっと目立って、もっと自己主張して、もっと強くなくちゃいけない。もっとはっきりモノを言って、もっと堂々として、もっと明るく元気でなくちゃいけない」と思っていた。
しかし、人間だって自然の中の生き物なのだから、人間だけを相手にしなくてもいいのだと気づかされた。人間関係だけに苦しんできた自分が愚かだったことに気づかされた。
人は小さな認識で世界を縮めている。人間関係だけを認識していると、窮屈な生き方を強いられる。だからこそ、自然との付き合い方も学ばなければならない。「認識の数だけ世界はある。つまり世界は無数にあって、それを自分で選択して生きているのだと知らせてあげたい。それが自由ってことなんだよ、と」著者は言う。街の中にだって自然はある。近所にある植木では梅の花が咲いていたし、上野公園では早咲きの桜が咲いていた。
著者は屋久島に行くことによって、今まで知らなかった近所の原生林を見つけた。今までそこにあったのに見えなかったものが、ずっと前からそこにあったことに驚いた。身近な森のカケラの中にも神様が宿っているのだ。
私たちも自然に溶け込む時間が必要なのだ。自然には神様がいる。きっとそう信じられるようになるだろう。
私たちにとって身近な自然は近所の神社にある。まずはそこからスタートしてみるのも、心の健康を維持していくひとつの手段だと思う。