短歌 エッセイ 父 天国への階段
苦しみも 痛み辛さも 遠のいて
天への階段 登りゆく父
閲覧ありがとうございます
父は42歳 ヒートショックで脳疾患に
右半身不随と失語症になった
働き盛り 会社経営していたのに
父は病院で 意識を取り戻したとき
何が身に起きたか わからなかったと思う
母が病院に泊まり込んで 父に寄り添っていた
麻痺した脚に 装具をつけて 歩く練習
それは 過酷な時間だったと思う
痛い 辛い 苦しい が 言えないのだから
その姿を見守り 寄り添う母
中学生だった私は
土曜日か日曜日に
父に 母に 逢いに行った
懸命に 歩く練習を している父
利き手が麻痺したので
左手で 文字を書く練習
入院 退院を 繰り返していた
土曜日の夕方
病院に行った
父はベッドに いない
母も いない
色々探したら
大きな窓に向かって
夕陽に照らされた父が
車椅子に乗っていた
その 車椅子の後ろに
母が 立っていた
父は 左手でハーモニカを持ち
赤トンボを 吹いていた
【夕焼け 小焼の 赤とんぼ 】
母は 車椅子のハンドルを
しっかり握っている
父も母も 夕陽に 照らされていた
父は 何を思い
ハーモニカを 吹いていたのだろう
その光景を ただ じっと見ていた
声もかけられず
静かに泣きながら
13歳の 私
入院している父
退院して 自宅にいる父
また 入院
リハビリセンターへ
そちらにも 逢いに行った
作業療法時間
卵の殻を 細かくして
貼り絵を作っていた
色をつけて
綺麗に仕上げる 父
それは 地元で 有名な 建物
そこにも 仕事で 行っていたのかなぁ
逢いに行くと 必ず
頭を撫ぜてくれた 優しく 優しく
満面の笑みで
父は 母にも 私にも
怒ったり 大きな声を
出したことはない
リハビリセンターに入院してる時
連絡がきた
言葉を発する事ができなくなった 父が
違う病院に搬送されたと
母と すぐ行った
末期の胃癌で
この一週間 もつか
母は先生に言った
主人はもう 充分過ぎるほど
苦しみました
最期は 苦しまずに。。。
先生は わかりました
設備の整っている病院を 紹介します と
父は救急車に 乗せられた
母と私も 同乗した
病院の 救急受け付けに 着いた
ストレッチャーで 運ばれる 父
母は 父が不安にならないように
ずっと手を 握っている
開腹手術をしたが
インオペに 終わった
そんなになるまで。。。胸がつまる私
どんなんにか 痛かっただろう
抗がん剤治療が 始まった
嘔吐が 激しい
母が 医師に お願いしたのか
父は しばらく 自宅療養に なった
頻繁に 胃薬を飲む 父
髪の毛が どんどん抜けて
嘆く 父
痩せ細り 痛みに 耐えて いたのかな
家庭での 普通の暮らしを
日常を させたかった 母
親戚も くる
ご近所さんも くる
友達も くる
父は 激痛の中
お見舞いに来て下さる方に
頭を 下げていた
父なりに 精一杯 感謝を
あらわしていた
痛みが酷く
入院
母は 仕事を 休んで
父に 付いていた
激痛が続く 父
母が 先生に 何かお願い していた
「 瑞さん 痛みが和らぐ 注射しますね 」
頷く 父
点滴も 今までと違うのが
用意された
貴志さん 痛くない?
母が 父に 訊ねている
父は 母を見て 頷いた
痛みに 顔が歪んでいたのに
今は 穏やかな 顔で 眠っている
母が ずっと父を 見ている
母に 手を 握られて
車椅子を降りて 天国への階段を
登り始めた 父
享年 52歳
最後まで お読みいただき ありがとうございます
父が亡くなって 久しいのに
12月になると
父の 闘病を思い
涙が 溢れ落ちます
お父さん
私 お父さんの 子供で 幸せ だったよ
優しく 大事に 育ててくれて ありがとう
了