短歌 亡き親友 追憶
いつの日か 君が遠くへ 行くのなら
このひとときを 一会と思ふ
いつのひか きみがとおくへ いくのなら
このひとときを いちえとおもう
7歳からの大親友が乳癌になってしまった
その日 私は仕事を終え帰宅してすぐ入浴し 夕食を作り
ゆっくり食べていた
金曜日で明日は仕事が休みだからビールも飲んだ一人で
夫は出張でいない
時計を見たら10時近い 3月下旬だけど肌寒い夜だった
ふと お正月以来連絡とっていない親友のamiちゃん
どうしているだろう と思いメールでもなく携帯でもなく
家の電話にかけみた
「amiちゃん、こんばんは 夜遅く突然電話してごめんね
今、お話ししても大丈夫ですか?」
「茉莉子ちゃん、私も電話しようと思ってたの」
amiちゃんは堰を切ったように話し出した
会社の健康診断で胸にしこりが見つかり専門の病院で
検査したら乳癌で既にリンパにも転移してるとのこと
6月に手術しても5年後の生存確率は50%とのこと
私は生まれて初めて体が震えた
「私にできることもがあればなんでも言って」
「茉莉子ちゃん、ありがとう」
amiちゃんは電話越しに嗚咽を漏らしていた
しばらく話して電話を切った
ベッドで号泣どころか慟哭し続ける私
生きてamiちゃん
病気で寝たきりの彼女のお母さん
知的障害の弟さん
その時 私は密かに離婚の準備をしていた
入院初日 仕事を抜けて病院に行った
amiちゃん 病着なのに綺麗にお化粧していた
「ちょっとamiちゃん、お化粧落とそう?メイク落としどこ?」
座っていた彼女は瞳を閉じて ありがとう茉莉子ちゃん と呟いた
彼女の閉じた瞳から細い雫がスーっと流れ落ちた
胸がこみあげ私も泣きそうになったがお見舞いとお手紙渡して職場へ戻った
家族は立ち会えない 親族もいない彼女
神様 赦して下さい
私とamiちゃんは従姉妹と記入して手術に立ちあった
ストレッチャーで手術室へ運ばれるamiちゃん
手を握り 言葉もなく 見つめ合う私達
5年後 デコルテ 腰 肝臓に 癌が転移した
既に離婚していた私は鬱病も少し回復に向かっていたが
知らせを聞いて鬱病が悪化した
それでもamiちゃんは気丈に仕事していた
お母さんと落としさんのために 末期癌の彼女が結婚した
私は復職を目指しワークサポートに通うことにした
心療内科のスタッフさんからの説明を受けていたら
連絡先人が必要ともこと
無心する親族とは絶縁していたのでamiちゃんに頼んだ
「私が生きてる限り 茉莉子ちゃんの役に立ちたいから
私でできることあればするから!と快諾してくれた
毎日のようにお互いの生存確認をしあい就寝
土曜日と日曜日は彼女のお母さんが入所している介護施設で会っていた
全身に癌があり副作用で爪は全部めくれ、髪も抜け落ちた彼女は
素敵なういgふを装着していつも綺麗だった
お母さんの食事介やマッサージして疲れ果ててる彼女を私がマッサージした
PCで仕事している彼女の肩、背中はかなりこっていた
肩を揉み背中をさすり足も押したりさすったり
彼女になら1時間も2時間もマッサージできた
「たかさんに頼んでも揉んでくれないのに茉莉子ちゃんにこんなに
長時間揉んで頂いてありがとう。茉莉子ちゃんと親友で良かった」
心地良さそうに瞳を閉じて微睡む彼女
おばさんに また来るから待っててね〜と言って地下鉄に乗る二人
乗り換えする私を車両内からずっと見つめるamiちゃん
発車するまでamiちゃんに手を振り続ける私 そして一礼する
amiちゃん立ち上がって笑顔で手を振ってくれる
走り行く車両にずっと手を振る私
これが最後かもしれないと いつも思い手を振り続けた
一期一会
まさにそう思う瞬間だった
10年闘病して天寿を全うしたamiちゃん
私の結婚式では友人代表としてスピーチしてくれて号泣したamiちゃん
メールでいつも最後は また逢う日まで でしたね?
さよならなんて言えない 言わない
今も大好き 毎日 留守電の声聞いてるよ 泣いてるよ
amiちゃん また逢う日まで
本日も最後までお読みいただきありがとうございました
親友ってかけがえのない存在ですね
幼なじみだから お互いの家庭環境も知っている 話さなくても
わたしが離婚を密かに決めた時 真っ先に相談したのもaniちゃんでした
「うちにおいでよ!遠慮しないで 茉莉子ちゃんの力になりたいの」と
優しいメールをくれたamiちゃん
もう一度
また逢う日まで
フォローしてくださる方 スキしてくださる方
ありがとうございます
とても嬉しく励みになります
深い深い喪失感の日々でしたが親友と過ごした時間は
キラキラと輝いてます
大切な方を亡くされた方へ
深い喪失感はすぐにはきえないけれど
いつか それが輝きに変わりゆく日が来ると思います
今も喪失感はありますが、心の定石箱に煌めいています