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いっぺん死んでみた。 【前編】

「死にたいって言って怒られるのは何故」

中学生の時、初めて死にたいと思った。
高校生の時、20歳で死にたいと思った。

私はまだ生きている、まだ死んでいないだけで。


高校生の時、いかに「JK」が強いかを知った。
私から「JK」であることをとったら私に残るものは何も無いと思った。若さが誇りで、それが一番の恐怖だった。この先、生きていてこれ以上に自分の価値が高くなることはあるのだろうか。そう思ったら生きる意味はないような気がした。
考える間もなくカッターを手首に当てていた。不思議と痛くなく、切ったところが熱かった。別にこれで死ぬとは思っていないけど、なんだか感情を表に出したかったのだ。常に可愛くいたかったから私の感情のタトゥーにピンクのキティーちゃんの絆創膏を貼った。ぺたぺた。途端にちょっと強くなれた気がした。
周りのみんなからは怒られたし止められた。だけど私はそんなみんなが大嫌いだった。他人の気持ちなんて分かるはずがないのに。なのにみんなは私のことをわかっているかのように私に怒ってくる。別にあなたに何か危害を加えた訳では無いのに。あなたにはなんにも関係のない事なのに。「失敗作」の私のことを叱って気持ちよくなってるだけの癖に。私の事なんて放っておいてちょうだい。

そう思って私は高三の途中で学校に行かなくなった。担任から毎日送られてくるメールも無視した。国公立大学進学率日本一を誇っていた(当時)我が校だが、私は貢献する気はサラサラなかった。保険として進学しようかな、くらいに考えるようになっていた。何者かになりたい、という夢が自分の中で大きくなっていたからだ。
当時被写体活動(ポートレートモデル)をやっていた私は自惚れていた、私は「何者か」ではあると。そんなはずは無いのに。そう思うと同時に、若さを失うことへの恐怖に苛まれていた。「JKだからちやほやされている」という自覚があったからだ。自分自体にはなんも価値もないことは分かっていたが、「何者か」にはなれるのではとまだ思っていた。
第一志望の大学のAO試験に落ちた時、私の中で進学の道は消え去っていた。就職して普通にOLとして生きる自分は嫌だった。別にOLを卑下している訳ではなく、そんな立派な仕事私には出来ないからだ。毎日朝早くに起き電車に乗り、パソコンと向き合ったり機械を操作したり。そんな高度なこと、夕方に起きて機械音痴な私には到底出来ない。
ともかく何者かになりたかった私は、東京でスカウトされてそのまま上京した。やっと、特別になれると思った。


しかし東京は地獄だった。というか今の世の中が私には地獄なのだ。芸能界に一歩足を踏み入れたばかりに自分が可愛くないことに気付いてしまった。SNSをみれば可愛い女の子が溢れまくっている。それが故に私が顔を載せようものならいいねはつかないのに容姿を否定するコメントがたくさんつく。
「可愛い」って当たり前じゃないのにいつからか「可愛い」ことが当たり前で正解な世の中になっていた。
じゃあなんだ。可愛くない私は死ねばいいのか?何者かになりたいと意気込んだ私は何者かになれないどころか可愛くないから死ななきゃいけないのか?

私はこの手に持っている叡智の集合体で「死にたい」と世界に呟いた。本当に死にたかった。死なせてくれと思った。そしたら凄い勢いでコメントがついた。顔を載せてもこんなには来なかったのに。死ぬのを止める人、死ぬって言ってる奴はどうせ死なないよという人、そして生きたくても生きられない人がいると言ってくる人。
死ぬと言ってる人は本当に死ぬのに。生きたくても生きられない人って誰?私の知り合いなの?私は正直善人でも仏でも神でもないから自分の知り合いでもなんでもない人のことを言われたって、へぇ、くらいにしか思えない。
なぜなら私の人生には何も関係ないから。
何故「死にたい」と言ってここまで怒られなきゃいけないんだ。そんなに希死念慮はダメなことなの?どうして「死にたい」って思っちゃダメなの?また更に私を生きづらくさせないでくれよ。


私の命を終わらせる権利を持っているのは私か天命だけだ。だったら私は私の手できちんと自分を完結させたい。


そう思い私は死ぬことにした。



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