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一歩家を出るのがこんなに大変とは!~「小1の壁」が働き方の分かれ道に
昨日に引き続き、私が途方に暮れた5年前の話です。
学校再開した6月、やれやれと思ったらまた別の壁が。
それは・・・「登校班」でした。
当時、我が家は私も含め朝が早く、みんな7時には出発していました。
だから息子はひとりで1時間テレビを見て過ごし、ひとりでカギをかけて登校していました。
かんたんなことだと思っていたら、それが、大変でした・・・。
①ドアが開かない
マンションは密閉性が強いので、浴室乾燥や換気扇をつけていると、かなり玄関のドアが開きにくいです。
男の子でしたが、当時の息子のチカラだとかなり開かなかったのが分からず
「出られない」「なんで?とにかく出なさい!」
「開かない」「押せばあくから!」
と、AIスピーカー越しにハラハラしました・・・。
②登校班がイヤ
まだひとりも友達がおらず、友だちをすぐ作れるタイプの息子でしたが「しゃべってはいけない」というコロナ禍ルールのために友達を作れず。
知らない上級生と並んで、嫌な学校に行かなければいけないのが苦痛でした。
学校は目と鼻の先、すごく近いのですが「登校班」のルールが厳しく、
登校班に遅れた場合は親が付き添って連れて行かねばならないというルールでした。
とはいえ、この時間、私は1時間前に出てようやく到着した職場にいます。
ちょっと遅れちゃった、からと言ってすぐに連れて行けません。
遅れてしまったら、家でひとりで1時間過ごし、私の帰りを待って、私が連れて行く・・・という羽目になるのです。
学校、すぐそこなのに。
ちなみに、休むのか遅刻なのか連絡がないと、1年生の場合は当番の親が確認しなければならないというルールまであったので、毎日当番の親御さんにご迷惑がかかるという事態にもなっていました。
迷惑だと言われるくらいなら、ほっといて頂いていいです・・・と言えなかったけれど。
「他のおうちは、お仕事調整されてますよ」
そう、言われました。
そりゃ、調整できるしごとなら調整してるわ!できないからこの状況なのに・・・と思って悲しかったなぁ。
それでね、少しでも迷惑かけちゃいかんと思って、登校班のLINEに謝罪のメッセージを入れたら、それはそれで「勝手なことをするな」と言われて。
味方がいないなぁ・・・って落ち込みました。
「大変ですね、お迎えしましょうか」っておひとりご連絡くださって、朝、我が家にお迎えに来てくれた上級生がいたのですが、「あそこの家だけそういうのは良くない」なんて言われてしまって。
だからこの時点で、息子には厳しくきつ~く、
「迷惑になることを絶対にしないで!」と言っていました。
そして、だいぶ早めの時間に家を出て集合場所に行くように指示をしました。
すると。
今度は「早く来てお庭で遊んでいるのはダメです」と言われる。
しかもそれを言われた日に、遊んでいたのは別の子でした。
その謝罪はなかったし、期待もしていませんでしたけれど。
そんなこんなで、朝、学校に行くだけで
キーキーしていました。
もう、授業中に寝ていたって、先生に怒られたって、忘れ物をしたって、なんでもいい。
とにかく学校まで行ってくれ。
毎日毎日、そう思っていました。
そして、毎日私の気持ちは登校班で窮屈な思いをして、誰だかわからないけれどマークされているであろう親御さんの目を想像して、ストレスを感じていました・・・。
職場には時差通勤ができないか打診をしましたが、
未就学児のために使える制度はあっても、
入学してしまったら使える制度がありませんでした。
今思い出しても、大変だったなぁ・・・と思います。
ミカタが周りにいない。
家を、出る、というだけなのにこんなに大変。
小学生って、超大変。
時間に家を出る、というだけのことが、
どうしてうちの息子はできないんだろう?
時間にアラームをかけ、電話もかけ、
「行ってらっしゃい」「行ってきます」と言うのに
「おたくの息子さんが来ていません」というメッセージが来るという・・・
今日も言われるのかな、という恐怖。
行ったと思ったのにランドセルを忘れていたり。
行ったと思ったら友達の家を訪ねていたり。
歩き方が悪いとか
喋ってはいけないのに喋っているとかふざけているとか・・・
あ~怖かった。。。
怖さを感じるたびに、その怖さを押し付けるようにして、
息子に怒りました。
あんたがちゃんとしていないから、ママは怒られる!と。
どうしてこんな簡単なことが、普通にできないの?と。
このストレスな日々の中で、私はぼんやりと
「違う働き方」という選択肢を持ってもいいのかも、と考え始めました。
息子が学校へ行ってくれないと働けない、
この状況って、危うい。
学校に行くのって当たり前だと思っていたけれど、そうではないらしい。
であるならば、別の選択肢というものが、あったほうが良いのでは?
そこから、私の「道」が動き出しました。
苦しい日々だったけれど、
今の位置に来るにはあのくらいのきっかけがないと私は動かなかった。
だから、必要だったんだなぁ・・・と、今では理解しています。
あの時たくさん息子にダメージを与えていたので、それは後々心がしくしくしました。
それはセルフカウンセリングで取っていったのですが、私が与えるものと、息子が受け取るものはまた視点が違うと分かったので、
今は罪悪感はありません。
そのあたりも徐々に書いていきたいと思います。
今日もありがとうございました。
おやすみなさい。