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仕事抱え込みすぎた結末「喪失」を感じた出産前【人生転換期】大人編

先日、サロンコンサートへ行ってきました。
私が小学2年生の時から出産直前まで続けていた、
合唱団でお世話になったピアニストの先生が出るということで
お知らせ頂いていたものでした。
コンサートはとっても素敵で楽しい時間を過ごせました。
ここで、懐かしい合唱団の仲間や先生と再会もしました。

「元気にしてた?」
「たまには練習顔出しにおいでよ」
「私は今、娘と一緒に歌ってるよ」
そう声をかけられ、
私の記憶は
合唱団でのあの最後の瞬間を思い出していました・・・

地域の少年少女合唱団、入団させたのはもちろん母です。
色々と熱心な母により毎日のように習い事があった時もありましたが、
母によって精査され(笑)
ずっと残った習い事がこの合唱団でした。

無邪気な低学年の頃に入り、ひとりではなくみんなに埋もれて歌える楽しさを味わいました。
(性格上、ひとりは無理!)
高学年の、以前書いた私の暗黒期ではやめたいと願いつつ、
母が合唱団の母の会にずっぽり属していたためやめられず、
拗ねながらずるずる続けました。

中学に入ったらやめるつもりが尊敬する仲間ができ、
そこからまた歌う楽しさを思い出し、
そのまま高校卒業まで続けました。

その後、そのまま卒団してしまうのが寂しくて、
卒団生だけのサークルとして続けました。
この頃はもう私は【きっちりお仕事モード】だったので
運営のメインをしていました。
先生との連絡調整、メンバーの参加確認、会場手配、会計すべてをやっていました。
スムーズに練習をするため、
練習の効果効率を上げるため、
無駄な時間をつくらないため。
メーリングリストをつくったり、出欠表や出納簿をつくったり。
当時、まだパソコンの出始めでしたがそれを駆使して作業していました。

2年に1回の発表会では
進行スケジュール、練習計画、衣装の手配、会場との連絡調整、リハーサルから当日の計画、スタッフや弁当の手配と指示、全体会計、他の団とのやりとり・・・ほんとに全てを私がやっていました。
今ふりかえっても、国家資格をとる大学生をしながら、すごい仕事量です。
「みずきちゃん、もう仕事だよね」なんて仲間に言われていましたが、
アルバイトでもなく、ただただ、一緒に歌うみんなのためにもちろん無償で頑張っていました。

私がやらないと、練習できない。
私がやらないと、コンサートができない。
私ががんばればいいから、
私がなんとかするから。
みんな、苦手でしょ?

誰かに一部を依頼してその進捗を気にするより、自分で分かっていたほうが全体像も分かる。
だから、ぜんぶぜーんぶ、抱え込んでいました。
人に頼ることが、できませんでした。
その結果、何かのミスが起きるともちろんそれは私のせい。
でも心の中は、
「ここまで全部やってあげてるんだからミスがあっても仕方ないでしょ」
「ここまでやってるんだから文句言わないで」
「誰もやりたくないことやってるんだから・・・」
やってあげている私、やらないみんなを見下す私。
「やって」と言われる前に抱え込んでいる私。
もういっぱいいっぱいで自分の練習できないのに、言えない私。
みんなのため、自分を犠牲にする私。
苦しい気持ち、怒りの気持ち、悲しい気持ち、言えない私。

歌うことのスキルは、団の中ではぜんぜんありませんでした。
ひょいっと上手に歌う仲間が何人もいる中、私のスキルはたいしたことない。
「好き」だけで歌っていました。
個性が埋まることで調和がとれる「合唱」という形態が合っていたのですが、
小人数になるとその「個性」も必要になってきます。
でもその「個性」が目立たず地味なことである私は「個性がない」と思っていました。
使いやすい駒である代わりに、スポットライトを浴びることはない。
その大きな劣等感をカバーしようという気持ちもあって、
余計に運営の仕事をかぶっていました。

コンサート成功のたびに、ありがとうと言われる。
その一瞬のためだけに自分を犠牲にして山ほどがんばる。

だんだん、楽しくなくなっていました。
それに、気が付かずに10年以上続けていました。
いや、気が付いていたけれど見て見ぬふりをしていました。

就職、結婚、妊娠。
そのライフステージの大変化の時にずっとこの状態でした。
練習時間的に、
出産後はさすがに続けられないと分かっていたので、
出産直前がラストコンサート(発表会)。
その最後のコンサートの時が本当に過重労働状態でした。
仕事では大きな任務があり、引継ぎも迫って忙しい。
妊娠しているからなかなか動きが鈍くなっている。
そんな中、いつものようにぜーーんぶ抱え込んでコンサートに向けて動いていました。

そのリハーサルの日。
私たちは先生に叱られました。
今ではあまり覚えていませんが、本気度が足りない、というような内容でした。
そこで私はぷつっと、切れました。

本気じゃないって、だれのこと?
こんなに私はずっとやっているのに、
私が投げ出したら何もできなくなるのに
どうして私がそんなことで叱られるのか?

実際は私ひとりに言われたことではなかったと記憶していますが、そこは私の性格上、かなり自分事として捉えてしまいます。
それゆえ、劇的に怒りと悲しみが湧いてきました。

私はこのコンサートで、しばらく手をひく。
そしたらこの団は空中分解してしまうんじゃないか?
こんなにずっと頑張って続けてきたのに
続けられるように私が支えてきたのに
なくなっちゃう・・・

その【喪失】を感じたとたん、
人前で絶対泣かなかった私が
こらえきれずにステージを折りてロビーに走りだし、
だばだば涙を流して嗚咽をあげて泣きました。
ずーっとずーっと
泣き止むことができませんでした。

今までの頑張りの報われなさ
理解されていないと思った悲しさ
認めてもらえなかったことへの悔しさと怒り

練習の参加人数が少なかったり
会費滞納が多くて資金難だったり
そのたびにみんなに呼び掛けてモチベーションをあげて
なんとか私がつなぎ留めてきたこの10年・・・

それが「喪失するかも」ということに飲み込まれ
もう体中の水分が抜けるかと思うほど泣きました。

出産前のホルモンバランスかしら?
なんて思ったりもしたけれど
とにかく「喪失感」が大きすぎました。

効率よく進めるために仕組を考え
練習を休んだ人への共有方法を工夫し
目的を達成するために
結果オーライにするために
手段、方法をすごくすごく考えてきた私。

ひとりでぼんやりと想像を楽しみ言われるままに動く小学生時代の私から、
スイッチが入れ替わった中学生時代。
その中学生時代から始まった、
効率重視、結果達成重視の「おしごとモード」だった私は
ここでまた心理的に

大きな大きな転換が起きたのでした。

心は
心が求めているものが長期間得られないとサインを出します。
それでも得られないと分かったその時、
心は
求める対象を変えます。

その転換がこの、
ラストコンサート直前リハーサルの日、
起きたのでした。

今振り返れば、色々と思うことはもちろんあります。
でもこの時の私はこういう価値観だったし
この時に得たものを今は糧にできている。
私にとって今は最優先ではないけれど
今でも大事な価値観のひとつでもあります。

あぁ、全力だったなぁ・・・
あぁ、青春だったなぁ・・・
あぁ、未熟だったなぁ・・・

そう思うとともに、
あそこまで頑張れた私はまだまだいける、
なんならもう誰かを頼れるようになっているから、
もっといける!
な~んて思えています。

無駄なことなんて、ほんと、ない。
頑張り屋さんだった私、ありがとう。


懐かしい仲間や先生の顔を見て
フラッシュバックしたこの記憶。
もう、私はあそこから進化してる♪
軽やかに生きている♪♪

「また歌いにおいでよ」
そう言ってもらえるのは嬉しいけれど
今なら違う心持ちで歌えるのかもしれないけれど、
私の今の心は合唱を求めてないから
気分よく、スマホのカラオケアプリで歌うことができたら満足。
お風呂場で気持ちよく歌えていたら、満足。

私には、
違う使命が
やるべきことが
やりたいことが

あるから✨


今日もご覧いただき
ありがとうございました。
転換ストーリーは長くなるなぁ・・・。

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