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ハルマゲドン、来なかったよね。わくわくしながら待ってたのにさ。

突然だけれど、二極化という言葉が嫌いです。
(好きになれないって書こうとしたけど筆が滑った)

風の時代が来るから、光と闇に分かれるから、幸せになる覚悟がある人だけが幸せになれるから。そんな危機感を煽って、分離を促進するようなその在り方が、どうにも受け入れがたくて、目に触れるたびにいらりとするんです。

ああだけど、こうやって気に入らない気持ちを我慢しきれずにここに書く事自体が、二極化推進委員の皆さんと変わらないじゃん。相手方の正しさを否定する行為じゃん。気に入らなきゃそもそも読みに行かなけりゃいいじゃん。
だけど好きな部分もある人だったりするんだもん。ただ二極化とか言ってる部分が許せないんだもん。

そんなジレンマ。どうしたら良いんでしょうね。
というわけで今日は完全に独り言。呟きながら、自分の考えを整理してみるだけの日記です。

ハルマゲドンで、世界が聖と邪に分かれると思っていたんです。本気で。

しかし二極化とかいうけど、これって全然新しい概念じゃなくて、昔から定期的にブームが来る波みたいなもんなんですよね。

近いところでは1999年7の月ハルマゲドン。有名な某宗教以外でも、あちらでこちらで、生き残るために心を正しましょうってやっていた。今のようにネットが普及していなかったから、書店とか人の縁とかを通じてあちらこちらでムーブが起きてた。

宗教以外でもムーブはあったよね。「幻魔大戦」とか「ぼくの地球を守って」とかその他あれこれ。前世からのカルマを解消するために、再び集った仲間たちと共に人類を救うために戦うという、壮大な夢。


ああ、私も夢見ました。
他人を傷つける事のない、愛にあふれた人だけの新しい世界。人にだけではなく、地球にも優しい人類だけが生き延びた、争いのない新世界。

私は新しい地球を守る側のメンバーで、争いを手放し、醜い気持ちを手放した正しい人で、幸せになる権利があって、
「私以外の人は真実を知らないかわいそうな人だ」
「こう考えればいいのに。こちら側に来ればいいのに。どうして気づかないんだろう」って本気で思っていたんです(中二病……!)

もう一度言います。本気で信じてたんです。私は光の側の人だって……(悶死するわ!)

だけどご存じの通り、2000年を過ぎても人類は滅亡せず、私は、普通の人になりました。
今は多様な価値観の人に囲まれながら、浮いたり沈んだり人を憎んだり愛したり、悩んだり苦しんだりしながら、俗っぽく生きてます。なかなか悪くない毎日だと、そう思っています。

そんな過去があるからこそ、昨今の二極化の言説に対して「ないない」って言いたくなるんですよ。

ないない。二極化なんて、ないない。
二極化を望むって、闇の側の人に全滅しろっていう事だよ。わたしと正しさが違う存在は、許さないって事だよ。本当に二極化していいの? 愚かかもしれないけど愛おしい家族と、本当に別々に生きていきたいの?
それって本当に幸せなの? って。

多様性を認めるって、きっと、怖い事なんだな。

「正しさがいくつも存在する」事って、人にとって、実はとても怖い事なのかもしれないと思う。
私を傷つける相手の正しさを許すという事は、私が傷つけられるという事を許す事にも繋がってしまう。それは「生き物」として致命的な弱さだ。種の遺伝子を残すという、生き物としての使命を大きく逸脱する行為だ。

そう考えると、二極化を願うことは、人として自然な事なのかなとも思う。「私は私の正しさ以外を信じません。だからどうか、私たちの正しさだけを守ってください。私という存在を守ってください」という、それは祈りなのかもしれない、と。

だけど祈るのなら、その怖さを乗り越える方向へ祈ってほしい。
歴史を学べば、あるいは生物や世界の仕組みを学べば、私たち人類が多様な正しさを持った存在の集合だからこそ、こうして生き延びてきたことが分かる。多様性をいかに許せるかが、その社会の豊かさの証だとも思うから。



………いいや、こんな正しい言葉は違うな。

私はね、「二極化」っていう言葉を「世界が分かれる」って言葉を、少しでも関りがあった人から聞くと悲しくなるんだ。
悲しくて、そしてイライラするんだ。

そうかあなたは、私のような人と縁が切れてしまっても悲しく無いんだね。私が私の正しさを放棄しない限り私と共にはいられないと、それがあなたの正しさなんだね。

あなたはあなたの幸せな世界を守るために、あなたと同じ色をした人以外は全て捨てて行くんだね。


それはとてつもなく、悲しくて、寂しい事だね。

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